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2016.11.30

離騒

この季節に、古琴の曲を選ぶ。つまり来年の秋の重陽の琴会に向けて稽古する曲を選ぶ。そしてその曲のイメージを膨らませていく。

昨年は、「鴎鵞忘機」を選んだ。この曲が意味するタオの世界をイメージしながら、稽古していった。自然は人間が欲を持って接すると離れていってしまうことを、漁師と水鳥たちのつながりとその破綻という逸話を題材にしたものだ。
さて、それでこれから何を演奏しようかと考えてみて、自分の演奏の力量では弾けないのではないかと思える曲も候補のなかに入れてみる。
それで思い浮かんだのは「離騒」という曲で、ぼくにとっては古琴という楽器との出会いにも妙につながっている。

旅先の北京で、故宮の近くでたまたま入った茶館で、初めてこの楽器に出会った。それはとても運命的な出会いとなったのだが、その茶館の名が、まさに「離騒」。

「離騒」は紀元前3〜4世紀の古代中国の春秋戦国時代の楚の政治家、詩人の屈原が書いた「楚辞」のなかにあるものだ。彼は敵対する秦の謀略を見抜き、懐柔される懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して汨羅江(べきらこう)で入水した。離騒は国を憂う人たちの間で愛されてきた。

ところで「青年日本の歌」(あるいは「昭和維新の歌」)として、右翼の街宣車でよく流されている曲の歌詞は、まさにこの屈原のエピソードにちなんだものだ。作詞は、戦前の五一五事件、戦後の三無事件のクーデターに関与した三上卓による。
歌詞の一番が「汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ」で始まり、十番では:

   やめよ離騒の一悲曲
   悲歌慷慨の日は去りぬ
   われらが剣今こそは
   廓清の血に躍るかな

となっている。

実はこの歌は、明治から昭和に生きた詩人土井晩翠の「赤壁図に題す」から持ってきたものと考えられている。
 
   首陽の蕨手に握り
   汨羅の水にいざ釣らむ
   やめよ離騒の一悲曲
   造化無尽の蔵のうち
   我に飛仙の術はあり。

しかし、勇ましい歌であるのは確かだ。

屈原を主人公とする中国古代のエピソードとその文学に自分の心象風景を求めるというのは、現在ではあまり考えられない手法ではあるが、漢籍を読破することが知的価値とリアリティを持っていた時代だからこそできたことだろう。

しかし、自分がこの曲「離騒」を選び演奏することに、屈原の話は果たしてどのように影響しているのだろうか?

いまはこの曲の冒頭を飾る泛音 ( はんおん ) と呼ばれるハーモニクスに時空間の移ろいを感じている。

古琴の名演奏家管平湖が演奏する「離騒」:


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