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2015.03.31

RE/membering Seiko Mikamiと三上晴子さん

サスペンダーつきの黒革のショートパンツにキャップをかぶった三上晴子さんの姿が記憶に残っている。

どういうきっかけで彼女と出会ったのかは忘れてしまったが、ぼくのニューヨーク生活時代に突如現れたような気がする。そのころの僕の周囲は、サイバーパンクの風潮を図らずも受けていたし、地元のハッカーたちの集まりに行ったりもしていたから、出会うのはある種必然であったかもしれない。

ぼくはアメリカでは、IBMとAmigaのPCを使っていた。当時は、いまでは消えてしまった機種も含めて様々なものがあって、アメリカ製パソコン生活は日本のものともちょっとちがっていて楽しかった。そしてサイバーパンクの世界は小説として楽しんでいた。またSRLサバイバル・リサーチ・ラボラトリのマーク・ポウリンにも当時ぼくが仕事をしていた事務所で会ったし、彼らのニューヨークで最初の大がかりなイベントを取材して日本の情報誌に送ったりもしていた。
しかしそういう状況と自分のアート表現とは結びついていなかった(もちろん技術的にはAmigaを選んでいるように、デジタルな映像やCGに関心はあった)。むしろぼくは、いわゆる美術の文脈のなかでの新しい表現の傾向、例えばジェニー・ホルツァーなどを見ていた(そのころ創刊された「03」というカルチャー誌にホルツァーを紹介する記事も書いた)。

そういうアートとテクノロジーの文化的な境界は不明瞭ながらも、あきらかに「別物」であった二重性は、三上さんに会ってからカオティックに崩れだした。撹拌されて、それまで抱えていたアート観が崩壊したと言っていい。彼女の口から次々と出てくる先端技術の話は、パソコン・オタクの世界からは見えないものだった。どうやって彼女はそれらの技術に、文化性をダイレクトに感じられるのかというのが、最初は理解できなかったが、話しているうちにだんだんわかってきた。
ちょうど彼女の個展があって、その作品制作を眺めたり、単純作業を手伝ったりしながら話した。アパートを探すのを手伝ったり、展覧会作品の写真を撮影したりして、なんだかんだとよく会っていた。
80年代の終わりのころであり、まだインターネットは巷間にはなかった。アナログ・エレクトロニクスが占める領域も大きく、90年代の圧倒的なデジタル化時代を前にして、あえて言えば電気コードを身体に巻きつけてしびれているといった感じのエレクトロニクス文化だったように思う。

ことしのはじめに急逝された彼女のためにICCで3月8日の夜に開催された"RE/membering Seiko Mikami"という催しで、80年代の彼女の作品を見ながら、いろいろなことを思い出した。かなり忘れていたが、ニューヨークと東京の様々なところで彼女と会っていたのと、この頃の彼女の作品の核となるようなものには、ずいぶんと触れていたのだということがわかった。

その後、ニューヨークから帰国した時に東京で会ったりしたが、そのうちぼくは東京に戻り、逆に彼女はニューヨークテックに行くようになって、会うことは少なくなった。しばらくして、ぼくはカーネギーメロン大学で研究員をやることになってすこしの間アメリカに戻り、彼女が大学院に通っているころに、ニューヨークを訪れる機会があって、彼女のミッドタウンあたりにあったスタジオを訪れて、なぜかUNIXの話をしたことがある。

21世紀に入って、彼女が東京に戻ってきてからは、あまり会うことはなかった。多摩美にトークしに行ったり、卒制の講評会で会うことがあったり、YCAMやICCなどで彼女の作品を見に行ったりしたが、ふだんは会わなかった。
とくにこれといった理由はないのだが、気分の変化があって、いまとなって思えば、なんとなくアナログとデジタルのエレクトロニクスの違いのような気がする。80年代はまだシンセサイザーの大半はアナログだったように、CV(電圧制御)で作動するようなリアリティがあった。彼女と会ってたころは、多分に電圧変化で発振するような物理力を感じていた時期だったのではないかと思う。

ICCの集まりで見た写真では、彼女の研究室に、ジョセフ・ボイスのポスターが貼ってあるのに気づいた。ボイスは、ぼくが現代美術を志向していた学生時代から20代のほとんどで影響を与えていた。だが80年代には、トランス・アバンギャルドの流れに出会って、ボイスを忘れた。その後、ドイツなどで展覧会の際に訪れる美術館で、彼の作品を観ても、すでに古臭くしか見えなくなった。

そのボイスが、三上さんの部屋にあった。憶測はいろいろあって、彼が主張していた社会とアートの関係に関心を寄せていたのではないかという純粋芸術的な解釈から、80年代に彼女に会ったころEinstürzende Neubautenのようなインダストリアル/ノイズを好んでいたから、そういうドイツ的な美意識なのだろうか・・・と考えたものだ。
もういまでは彼女にたずねることはできないのだが、なぜジョセフ・ボイスだったのだろう?

それからこのICCの集まりでは、彼女が教えた学生たちが登壇して彼女との思い出を話した。彼女は、学生に対しても丁寧な言葉で話し、権威ぶることがなくて、自分と学生を同等のレベルで接していたそうだ。
やはり彼女もハッカーの態度を基本にしていたんだなと思った。

ぼくと彼女が出会ったころから始まったデジタル技術による変化は、人間がふつうに考えてきたことではとらえきれないほどのものになるだろう。
そういう変化の兆しをアートを通してインスパイアする役割をこれまで三上さんは担ってきたのではないだろうか。
未来への霊感を示していてくれた彼女がいなくなって、いまは周囲にある不可視の知識や情報の空間が微妙にねじれているかのように感じる。

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