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2015.02.21

歴史主義

「歴史」から現在の物事をとらえる「歴史主義」は、一般的に広く行き渡っている概念だ。もっともその定義は多様であるようだが。

自分のなかにも、歴史主義的な思考方法はあると思う。それは少年のころに影響された歴史観、つまりヘーゲルからマルクスらへとつづく歴史の捉え方が自分のなかでは長期にわたって支配的であった。このような歴史主義は、60年代〜70年代にはごく普通にあったし、いまでもよくあるものだ。

典型的な歴史主義に共通の物言いは、「歴史が証明している」という言葉に表れていたり、「XXに回帰する」などというのもその例だろう。

個人史などのごく身近な歴史で言えば、人の世の世代間での物事の伝播は、だいたい60%前後だと思う。二世代、つまり親子の間ではおよそ60%ぐらいの割合で共有できるものがある。逆に言うと、30%から40%ほどの幅で、世代間では異なる内容や質のものがある。この割合からすると、三世代では、共有できるものは30%ぐらいとなり、70%から80%の幅で、共通しない、あるいは共有できないものが生じる。(これはぼくの当てずっぽうな概算に過ぎないのだが、自分にあてはめるとわりとあたっているような気がする。「親子」というのは、文化的にはほぼ同世代に近いのだ。)

哲学などの分野で言われてきた歴史主義的な捉え方とそれに立脚した方法からは、ぼくは次第に距離をおくようになった。それは1990年代から始まるデジタル技術とそれによる社会の変容を経てからのように思う。
21世紀を形作っているデジタル技術は、過去の技術とは比較できないほどの変化をもたらしている。これは、20世紀以前では捉えきれなかった宇宙のひろがりから、極私的に個人があつかえる空間や時間に関する概念やそれへの感覚を変えたり、言説の伝播のあり方を変え、人間を含めた生物の構造に関する観念を変え、その他にも生活の細部にいたるまでを変えている。

そういうふうに認識することで、ぼくは過去から類推して現在を語るという方法を極力使わずに、現在を分析するように意識を変えている。つまり「事態は常に新しい」と考えることだ。

現在の社会状況は、過去にある、数千年前からつづく宗教観や、20世紀前半に大きな勢力になってしまった全体主義的な傾向の再来などを思い起こさせる。もちろん現象的に似ている事象はたくさんあって、過去のものとの類似性を指摘するのは社会心理学的にはうなずける。例えば、全体主義を生み出すような社会的な条件があれば、やはり同様な現象を生み出しやすい。

ただ問題の解決法は過去に見つけることはできず、現在進行中のものから未来の条件にあったものしか解決は見つけられないものだ。一見すると過去の事象と似ているが、いま起きていることは、現在的なものなのだ。
だから解決するには新しい方法を生み出すしかない。


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