« 芸術物語 | Main | 90年代の「変化」について »

2014.11.30

雨傘革命

進行している大きな革命に遭遇する機会は、滅多にあるものではない。(もちろん微小な革命は、気づくか気づかぬかは別として、日常的に進行しているものだが)

デザインの会議のために訪れた香港での余裕のない日程だったが、帰国する日の朝に、学生たちが占拠している地区を訪れることができた。

まず到着したときの印象は、思慮深く実行されている活動だということだ。ある自主的な規律があって、整然とした様子は、学生たちの人生に深く関わってくる状況に対して、真摯に取り組もうとしていることの表れなのだろう。
占拠地区には、たくさんのテントが並んでいて、この一つの地域だけでもかなりたくさんの学生たちが住みついているのがわかる。そこには、学習室のブロックが作られていたし、講師がやってきて自主講座のような「授業」も行われていた。またリサイクルも徹底しているし、あらゆる日常的に必要なことがらは、共同で管理されていた。

日本のかつての大学紛争や、また文化大革命の紅衛兵たちの活動は、多くはひたすら「破壊」的だったが、現在の香港の雨傘革命に参加している香港の学生たちの活動は、むしろオープンとか、オルタナティブという言葉で表現したほうが適切であると思う。あるいは「自律的」という言葉が正しいのかもしれない。

中国政府のロジックは、巧妙かつ強硬な政治権力の運用であり、そのハードライナー的な要素が強くなれば、この小さな革命は木っ端みじんに粉砕されてしまうのは明らかだ。だが一方で、この革命は、世界の自由な人々とのネットワークとの上の微妙にバランスがとれたところにもある。一見すると脆弱そうに見えるが、意外と強い力に支えられているようにも見える。

案内してくれた学生が道をふさぐバリケードは、とてもしっかり作ってあると説明してくれた。だが。それはどう見ても機械力の前には簡単に取り除かれてしまうものにしか見えない。実は、この占拠も、ちょっと前なら簡単に一掃されていただろう。だが、いまは、そうはいかない。「世界の目」が見ているからだ。(いったい、この「世界の目」とは何だろう?)

ここが破壊されたなら、歴史は数十年戻ってしまうような気がする(実際には、歴史が戻るということはないのだが)。
中国にとっても、ここを破壊するということは、自らの首をしめることになりかねないところにあるのだ。それに気づいている人が中国政府のなかにもいるかもしれない。

雨傘革命は、そこに参加している人たちが思い描く以上に、21世紀に大きな影響を与えるだろう。

占拠地区の無数にあるテントの群れのなかを歩いていて、とても胸が熱くなるのをおぼえた。


20141130_102529


|

« 芸術物語 | Main | 90年代の「変化」について »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 雨傘革命:

« 芸術物語 | Main | 90年代の「変化」について »