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2014.07.30

「九月、東京の路上で」で起きたこと

平らかな生を楽しむ国びとだと思っていたが、一旦事があると、あんなにすさみ切ってしまふ。

折口信夫
日本近代文学大系 46巻 折口信夫集
「九月、東京の路上で」での引用より

数年前に東北での大震災があり、また常におおきな震災が周期的に起こるこの国では、震災については、防災技術の観点のみならず、社会や文化の問題としても常に念頭に入れておくことが多々ある。

関東大震災のときに、朝鮮人、中国人、労働運動家、社会主義者が、民間人の「自警団」、軍隊などに虐殺されたことを、少年のころに知って「デマ」をもとに「自然発生」的に生まれるテロの恐ろしさを感じた。それ以来、ずっと気にはなっていたが、おおまかな情報を知るにとどまり、事件の背景にある状況などを知ることはなかった。

たまにアーティストたちのコンサートや展示などで訪れる「ハイチ」というスペースがある京成線八広駅のすぐ近くに小さな石碑が建ったのを、数年前のある日気づいた。「悼」という文字が大きく書かれた碑だ。(「関東大震災時 韓国。朝鮮人殉難者追悼之碑」

この碑を見たときに、少年のころに知った関東大震災の際に起こった「虐殺」の現場の一つがこの辺りで起こったのだということを理解した。と同時にしばらく忘れたようになっていた、この事件のことがさらに気になっていた。

「九月、東京の路上で」(加藤直樹著)という本は、自分のこころのなかで曖昧模糊として残っていた部分をあきらかにしてくれた。どのような状況があり、それがどのような範囲で起きていたかということもわかった。

少年時から馴染みのある世田谷の千歳烏山でも、虐殺は起きていた。このことはこの本を読むまでまったく知らなかった。高校生のときに、ここにある都立高校で朝鮮高校の高校生たちと交流会をもったことがあった。(誰も震災時のことは知らなかったので、話題には出なかった。だが、いまから思うと、そこで集まったことじたいにも、なんらかの縁があったのかもしれない。)

この本を読むと、9月1日の震災から日が経つにつれて「デマ」がひろがり、虐殺がひろまっていく様子がわかる。ほぼ完全に通信網、情報網が途絶えたときの突発的な事件のようであるが、社会的な心理のなかに、潜在的に民族差別があると同時に、「恐れ」(つまり他国を支配し、隷属させたいたりすることへの被支配者からの抵抗、反抗への恐れ)があるのが見える。さらに警察や軍隊というシステムがこのデマ助長していったことも重要な点だ。

情報伝達ということでも、東京の周辺の地域では、東京から焼けだされてすすだらけになった人たちが、当人も実際には確認していない、東京では朝鮮人の襲撃が始まっているという虚報を口にすることで、真実味を帯びて周辺地域に伝わったのがわかる。

またこの本が興味深いのは、文化人たちの「虐殺」への反応が書かれていることだ。冒頭の折口の言葉は、「国民論」というべきものとして、とても印象深いものであるのだが、この本の帯にも取り上げられている萩原朔太郎の言葉も、知識人が、虐殺について怒りをもって語っている例である。

朝鮮人あまた殺され
その血百里の間に連なれり
われ怒りて視る、何の惨虐ぞ

萩原朔太郎

劇団俳優座を起こした演出家、俳優の千田是也は、震災時に朝鮮人をとっつかまえようと街に出たところで、逆に朝鮮人と思われて自警団に暴行を受けたことから、「千駄ヶ谷でコーリア」をもじって千田是也という芸名にしたという。
実際に、朝鮮人と間違われて殺された日本人の数も多々ある、もともと見分けがつかないものだから、余計に「恐怖心」をあおるのだ。

ぼくは、関東大震災のときに起きたこの虐殺事件とその背景について、もっと知られるべきだと思う。また
20世紀の初頭と比較すれば、人間とその社会は進化していて、同じことは起こらないと思う。それは世界大戦は起こらないと思うのと同様に、20世紀の蒙昧な時代のことは同じ様には起こらないという考えだ。
だが世の中では、まだ戦争は起こっているし、レイシズムはなかなか絶えない。これらはまだ続くのかもしれないが、それでも終わると思う。(アメリカの黒人の公民権が与えられたのはやっと1960年代だが、社会の変化はそういう速度だ。)

ぼくはその解決の決め手は、文化と情報だと思っている。そういう観点からでも、「九月、東京の路上で」は多くの方々に読んでもらいたい。(また外国語にも翻訳され、世界のレベルでもまともに検証してもらいたい。)

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