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2014.04.22

シェアする経済

もともと争いというのは、限られた資源や利益を奪い合うことから始まる。ひとつのキャンディをふたりが争うとなると、より熾烈な争いになったりする。キャンディは、わけにくいし、ひとつのものを複数人でしゃぶるわけにもいかない。

太古からこれまでのところでもっとも多い解決の方法は、パワーに頼ったもので、力の強いものがキャンディにありつくというものだ。
いっぽう、この問題の共同的な解決は、キャンディを分割する適切な方法を編み出す、キャンディそのものを必要に応じてつくり出すということになる。

現在の社会は、大半を占めるのは前者の方法で、国家というのは、そもそもが動物的な単純な「争いによる解決手段」を高度なものへと発展させてきた。実際の武力そのもののみならず、心理や情報の操作も含めて高度なものとなった。
現在の課題は、こういう争いによる解決という方法をやめて、シェアするにはどうすればいいのかを前提として考える社会を世界的につくっていけるかどうかというものだ。

領土、資源問題は、いまだに連続して世界のいたるところで頻発している。そしてそこで利用されている心理の基調は、多くの場合、古びた偏狭な「ナショナリズム」だ。

いっぽうでナショナリズムを基盤とした活動も、多様化してもいる。かつて社会主義も民族主義を援護し、またファシズムも民族的、血族的な優位性を根拠としていた。ロシアとウクライナを巡る紛争は、単にロシアの大国としての帝国的な支配と、それに対する少数民族のウクライナ人という単純な関係だけでは語れない。一見するとウクライナは、EUのような「自由主義圏」に所属するためにロシアの専制から独立するように見える。またロシア系の多い地域に紛れ込んだウクライナの活動家を捕捉したロシア系市民たちが、活動家を「ネオナチ」だと呼んでいる。専制主義、大国主義なのはむしろロシアだと思いがちだが、それだけではなく、ウクライナの歴史的な背景には実際にナチスとのつながりを持つものがあって、現在のウクライナ政権には実際にネオナチ的な潮流もまぎれこんでいたり、そういう歴史背景からきわめて複雑な様相を呈している。

社会の動向には波があって、それにはなにかしらの周期性があるようだが、現在はまたナショナリズムが幅をきかすタイミングだ。世界のいたるところでナショナリスティックな動きが見える。この状態のほうがむしろ普通であって、紛争をなくそうとか、世界平和とかいう波があるほうが珍しいのではないかと思えたりする。
ただすでに人間の争いによる解決方法というのは、定式化されてもいて、NGOのような国家にとらわれず、国境を越えた活動が活発にあったり、紛争防止のシステムはより巧妙になっている。

これから先、われわれが優先すべきことはシェアすることをシステム化することだ。生物的な進化のつぎの段階はそこにあると思う。

そのための実際の方法は?


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