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2014.03.26

安全神話とデザイン

事故によってデザインが見えてくる話は、すでに2005年から何回かとりあげている。

事故の大小によって、ふだんは見えないデザインが見えてくるものも異なるだろうが、2011年3月11日の東北地方の地震と津波、そして福島での原発事故によって見えてきたものの構造は通常では見えるものではない。日本の社会の構造設計の根幹部分がかなり曝け出されたと言ってよいだろう。

地震と津波、また原発事故で曝け出されたものの、最大のもの一つは、「安全」ということだろう。安全性というのは、デザインという技術にとっては、常に条件とされるものである。製品や建築などでは明白なものであるが、無形なものであっても、例えば情報のあり方は、安全性と密着していて、それはインタフェースの安全性もあれば、ネットや人々の会話などを通して伝わる情報の安全性もあった。

「安全神話」という言葉がある。常日頃、安全の神話性を指摘されていても、実際に事故によって、そのデザインが露見するまで、実感がわかないものは多い。それは津波の防波堤の構造であったり、原子炉の安全性などが顕著な例と考えられる。
安全神話は根拠がないものだが、政治家がこれを公言し、それをまた学者たちがいかにもありそうに説明して、ますます強固なものになっていく。
原発近くの浜辺で子供達と遊んでいたという話を聞いたりする。不気味な存在である原発施設も、気にはなるが、そのうちなんとなく大丈夫なんだろうなって思うようになる。そのまま続けば、安全神話の世界のなかで平穏に暮らしていける。

だが、そんなことはどこかで破綻するものだ。

デザインが、安全神話を補完するものであってはならない。311以後、デザイナーはこのことを胸に刻んでおくべきだ。


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