2016.11.30

離騒

この季節に、古琴の曲を選ぶ。つまり来年の秋の重陽の琴会に向けて稽古する曲を選ぶ。そしてその曲のイメージを膨らませていく。

昨年は、「鴎鵞忘機」を選んだ。この曲が意味するタオの世界をイメージしながら、稽古していった。自然は人間が欲を持って接すると離れていってしまうことを、漁師と水鳥たちのつながりとその破綻という逸話を題材にしたものだ。
さて、それでこれから何を演奏しようかと考えてみて、自分の演奏の力量では弾けないのではないかと思える曲も候補のなかに入れてみる。
それで思い浮かんだのは「離騒」という曲で、ぼくにとっては古琴という楽器との出会いにも妙につながっている。

旅先の北京で、故宮の近くでたまたま入った茶館で、初めてこの楽器に出会った。それはとても運命的な出会いとなったのだが、その茶館の名が、まさに「離騒」。

「離騒」は紀元前3〜4世紀の古代中国の春秋戦国時代の楚の政治家、詩人の屈原が書いた「楚辞」のなかにあるものだ。彼は敵対する秦の謀略を見抜き、懐柔される懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して汨羅江(べきらこう)で入水した。離騒は国を憂う人たちの間で愛されてきた。

ところで「青年日本の歌」(あるいは「昭和維新の歌」)として、右翼の街宣車でよく流されている曲の歌詞は、まさにこの屈原のエピソードにちなんだものだ。作詞は、戦前の五一五事件、戦後の三無事件のクーデターに関与した三上卓による。
歌詞の一番が「汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ」で始まり、十番では:

   やめよ離騒の一悲曲
   悲歌慷慨の日は去りぬ
   われらが剣今こそは
   廓清の血に躍るかな

となっている。

実はこの歌は、明治から昭和に生きた詩人土井晩翠の「赤壁図に題す」から持ってきたものと考えられている。
 
   首陽の蕨手に握り
   汨羅の水にいざ釣らむ
   やめよ離騒の一悲曲
   造化無尽の蔵のうち
   我に飛仙の術はあり。

しかし、勇ましい歌であるのは確かだ。

屈原を主人公とする中国古代のエピソードとその文学に自分の心象風景を求めるというのは、現在ではあまり考えられない手法ではあるが、漢籍を読破することが知的価値とリアリティを持っていた時代だからこそできたことだろう。

しかし、自分がこの曲「離騒」を選び演奏することに、屈原の話は果たしてどのように影響しているのだろうか?

いまはこの曲の冒頭を飾る泛音 ( はんおん ) と呼ばれるハーモニクスに時空間の移ろいを感じている。

古琴の名演奏家管平湖が演奏する「離騒」:


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2015.12.31

人類に星間移動はできるのだろうか?

極端に言えば、テロは世界を変化させる媒質かもしれない。テロが起こる背景を考えると、現在の世界の構造が見えてくる。
テロは極度に純度を増した少数派による政治の行使である。内容を問わず、これまでの歴史のどのような場面にもあてはまってきたのではないかと思う。

ISの一連のテロが見せているものは、言わば世界の巨大な裂け目であり、その深さは計りしれない。その裂け目の大きさに、あらためて世界は戦慄している。これまでの国家観や、国家に付随する制度は無力であり、さらに国家連合である国連も無力である。国連はこのようなテロに直接的には対処することはできない。
もしもこの問題の解決を期待できるものがあるとしたら、経済、文化、教育、医療などであり、それこそ従来にはない社会性をもった人々のつながりでしかない。いっぽう、まったく無力なのは、軍事や国家戦略のようなものだ。中東の危機は、19世紀から20世紀を通じて進行してきたさまざまな国家的な思惑の結果によるものだ。

2015年は、この四半世紀の間に生じてきた大きな裂け目がこれまでにない形で露出してきた時期だっただろう。
日本政府は、憲法解釈を無理やり変えて、集団安全保障へと枠組みを変えた。「中国脅威論」や「領土問題」という、20世紀的な心情や、国家間の軍事協力の必要性など様々な理由をつけたものだ。しかし、テロという観点からすれば、集団安全保障は、テロに対処できない。なぜなら国家間戦争ではないからだ。
テロは、本来は地域に限定されたものだ。だが、いまやテロは、国際テロになってしまった。それは、旧来の地域概念のスケールが大きく変わったことを示している。

把握しにくい国際問題の位相をどのようにとらえるかは、これからの世界を考察するうえで重要なことだ。テロの余韻が冷めない時期に開催されたCOP21(第21回国連気候変動枠組み条約締約国会議)が、18年ぶりに温暖化防止などについて合意に達した。このことにはいくつかの背景があるだろう。一つは、温暖化ガスを出さない技術の展望が以前よりも見えてきたことである。だが、この合意へと向かわせたもう一つの要因は、実は数週間前に起こったテロであると言ってもいいだろう。
世界は貧富の差が大きい。人口比でみれば、7人に1人の割合にすぎない先進国の10億人にほとんどの富が集中し、逆に同じ割合の人口は、飢餓と隣り合わせにある。電気も無い20億人の人々に、エネルギー消費からの温暖化ガスの削減を強制するのはもともと無理な話だ。さらに言えば、飢餓と隣り合わせにある人たちの絶望的な状況を考えれば、わずかな可能性にでも賭けるしかない。

われわれは、世界をかなり包括的に見なければならないところに来ているのだ。政治は、大国でも、また少数派のさまざまな政治形態であっても、それ自体で解決するものはなく、多くは政治力学的にしか決着がつけられてしまう。(政治力学だけで決着が図られようとしているのは、国内では沖縄と日本政府との関係に見られるだろう。)

COP21は「産業革命」以来の歴史を顧みることとなった。産業革命以後の生産様式は化石燃料に依存し、温暖化を促進してきた。そしてさらに先進国が植民地を世界に広げていった歴史でもある。産業革命以後の二百数十年間をやっととらえられるところで合意が形成されるようになったのが、今回の国際会議の意義なのだ。

「宇宙船地球号」は、建築家であり思想家であるバクミンスター・フラーがすでに半世紀も前に語った概念だ。地球についてのイメージとして的確なものの一つだ。このレベルでの認識に到達しなければ、われわれの未来はない。
実際の宇宙船で宇宙空間を移動するようになるには、まだ時間があるだろう。だがフラーによって定義された宇宙船である「地球号」は、ずっと宇宙を移動している。

我々は、あらためて星間移動する宇宙船のイメージを強く持つべきだろう。世界中の宇宙船乗組員にエネルギーと食糧を公平にいきわたらせることから始めよう。


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2015.05.31

参加可能な行政

いまの政府というのは「自動販売機政府」(原文ではvending machine government)というようなもので、われわれはお金を入れて、品物が出てくるのを待っていて、出てこないとドンドンと叩いたり、揺らしたりして抗議するというようなものだとをティム・オライリーが言っている。

彼が2009年に言いだした"Government 2.0"ということを、ぼくはここに来て現実的で切実な方法としてやっと理解するようになった。それまであまりピンと来なかったのだが、それは自分だけでなく、現在はシカゴ市で実際にオープン・ガバメントの方法を実践している担当者も、最初はわからなかったと述べているから、そんなものかもしれない。

彼の考えの骨子ともいうべき"Government as a platform"、つまり「プラットフォームとしての行政」ということ、土台としての行政はということを考えていくと、あらためて理解が進んでいく。(オライリーが言うプラットフォームは、厳密にはコンピュータ・プラットフォームがモデルだ。そのコンピュータ・プラットフォームは、オープン・ソースやこれまでにないさまざまな新しい方法が生み出されているインターネットも含めたプラットフォームのことだ。)
国の政府から、市町村にいたる行政(英語のgovernmentは、政府であり、行政である)は、本来は国民や住民にサービスを提供するものである。様々なサービスを実行していくのが「ガバメント(行政)」であるわけだ。そこでは、人々(住民、国民)は税金という形でお金を払い、適切で効率のよいサービスを受ける。

このことに関しては、政治上の保守派も革新派もまだ理解は未熟である。多くの一般の人々も同様なので、政府から地方自治体に至るまで、行政は、政治の舞台や政争の場ぐらいにしか理解されていないことが多い。
公共予算をどのように使うかによって、保守と革新の違いや、アメリカでは「大きな政府」と「小さな政府」という伝統的な民主党、共和党の論争があるのだが、それらは政治の立場や見解の違いにすぎない。
そこで抜け落ちているのは、オープンなデータの公開と、人々の行政への参加のシステムだ。そしてニーズに応じて対処する行政サービスを向上していくことだ。行政規模の大小は、オープンな方法で決めた結果に基づくものであり、政府の大小は議論の課題というよりも、ニーズに応じているかどうかで決まるものだ。
「行政はプラトフォーム」であるから、合理的にその機能を発揮できるようにするだけのことなのだ。(ところが自治体レベルでも、このような考え方は欠落しがちだ。最近の大阪での「都構想」の賛否を問う投票では、推進派も批判派もこういう観点がないままねじれた政争として進行したように見える。まず大阪に必要なのは、オープンデータとオープンガバメントと住民参加ではないのだろうか?)

それは「誰もが行政への参加者であると、選挙日だけでなく、いつでも感じる」(トーマス・ジェファーソン)ような行政への参加の再建を、インターネットが可能にできるという希望なのだとオライリーは言っている、

オープン・ガバメントの方法は、世界のみならず、日本国内でもゆっくりだが浸透してきている。

日本のオープンガバメント度は30位:
http://geography.oii.ox.ac.uk/?page=open-data-index

日本政府のオープンガバメント:
http://www.data.go.jp/

日本のオープンガバメントラボ:
http://openlabs.go.jp/

英国政府のオープンガバメント:
http://data.gov.uk/

アメリカ政府のオープンガバメント:
http://www.data.gov/

このイメージビデオは、シンプルだが、世界に広がるオープン・ガバメントの状況を物語っている:

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2015.03.31

RE/membering Seiko Mikamiと三上晴子さん

サスペンダーつきの黒革のショートパンツにキャップをかぶった三上晴子さんの姿が記憶に残っている。

どういうきっかけで彼女と出会ったのかは忘れてしまったが、ぼくのニューヨーク生活時代に突如現れたような気がする。そのころの僕の周囲は、サイバーパンクの風潮を図らずも受けていたし、地元のハッカーたちの集まりに行ったりもしていたから、出会うのはある種必然であったかもしれない。

ぼくはアメリカでは、IBMとAmigaのPCを使っていた。当時は、いまでは消えてしまった機種も含めて様々なものがあって、アメリカ製パソコン生活は日本のものともちょっとちがっていて楽しかった。そしてサイバーパンクの世界は小説として楽しんでいた。またSRLサバイバル・リサーチ・ラボラトリのマーク・ポウリンにも当時ぼくが仕事をしていた事務所で会ったし、彼らのニューヨークで最初の大がかりなイベントを取材して日本の情報誌に送ったりもしていた。
しかしそういう状況と自分のアート表現とは結びついていなかった(もちろん技術的にはAmigaを選んでいるように、デジタルな映像やCGに関心はあった)。むしろぼくは、いわゆる美術の文脈のなかでの新しい表現の傾向、例えばジェニー・ホルツァーなどを見ていた(そのころ創刊された「03」というカルチャー誌にホルツァーを紹介する記事も書いた)。

そういうアートとテクノロジーの文化的な境界は不明瞭ながらも、あきらかに「別物」であった二重性は、三上さんに会ってからカオティックに崩れだした。撹拌されて、それまで抱えていたアート観が崩壊したと言っていい。彼女の口から次々と出てくる先端技術の話は、パソコン・オタクの世界からは見えないものだった。どうやって彼女はそれらの技術に、文化性をダイレクトに感じられるのかというのが、最初は理解できなかったが、話しているうちにだんだんわかってきた。
ちょうど彼女の個展があって、その作品制作を眺めたり、単純作業を手伝ったりしながら話した。アパートを探すのを手伝ったり、展覧会作品の写真を撮影したりして、なんだかんだとよく会っていた。
80年代の終わりのころであり、まだインターネットは巷間にはなかった。アナログ・エレクトロニクスが占める領域も大きく、90年代の圧倒的なデジタル化時代を前にして、あえて言えば電気コードを身体に巻きつけてしびれているといった感じのエレクトロニクス文化だったように思う。

ことしのはじめに急逝された彼女のためにICCで3月8日の夜に開催された"RE/membering Seiko Mikami"という催しで、80年代の彼女の作品を見ながら、いろいろなことを思い出した。かなり忘れていたが、ニューヨークと東京の様々なところで彼女と会っていたのと、この頃の彼女の作品の核となるようなものには、ずいぶんと触れていたのだということがわかった。

その後、ニューヨークから帰国した時に東京で会ったりしたが、そのうちぼくは東京に戻り、逆に彼女はニューヨークテックに行くようになって、会うことは少なくなった。しばらくして、ぼくはカーネギーメロン大学で研究員をやることになってすこしの間アメリカに戻り、彼女が大学院に通っているころに、ニューヨークを訪れる機会があって、彼女のミッドタウンあたりにあったスタジオを訪れて、なぜかUNIXの話をしたことがある。

21世紀に入って、彼女が東京に戻ってきてからは、あまり会うことはなかった。多摩美にトークしに行ったり、卒制の講評会で会うことがあったり、YCAMやICCなどで彼女の作品を見に行ったりしたが、ふだんは会わなかった。
とくにこれといった理由はないのだが、気分の変化があって、いまとなって思えば、なんとなくアナログとデジタルのエレクトロニクスの違いのような気がする。80年代はまだシンセサイザーの大半はアナログだったように、CV(電圧制御)で作動するようなリアリティがあった。彼女と会ってたころは、多分に電圧変化で発振するような物理力を感じていた時期だったのではないかと思う。

ICCの集まりで見た写真では、彼女の研究室に、ジョセフ・ボイスのポスターが貼ってあるのに気づいた。ボイスは、ぼくが現代美術を志向していた学生時代から20代のほとんどで影響を与えていた。だが80年代には、トランス・アバンギャルドの流れに出会って、ボイスを忘れた。その後、ドイツなどで展覧会の際に訪れる美術館で、彼の作品を観ても、すでに古臭くしか見えなくなった。

そのボイスが、三上さんの部屋にあった。憶測はいろいろあって、彼が主張していた社会とアートの関係に関心を寄せていたのではないかという純粋芸術的な解釈から、80年代に彼女に会ったころEinstürzende Neubautenのようなインダストリアル/ノイズを好んでいたから、そういうドイツ的な美意識なのだろうか・・・と考えたものだ。
もういまでは彼女にたずねることはできないのだが、なぜジョセフ・ボイスだったのだろう?

それからこのICCの集まりでは、彼女が教えた学生たちが登壇して彼女との思い出を話した。彼女は、学生に対しても丁寧な言葉で話し、権威ぶることがなくて、自分と学生を同等のレベルで接していたそうだ。
やはり彼女もハッカーの態度を基本にしていたんだなと思った。

ぼくと彼女が出会ったころから始まったデジタル技術による変化は、人間がふつうに考えてきたことではとらえきれないほどのものになるだろう。
そういう変化の兆しをアートを通してインスパイアする役割をこれまで三上さんは担ってきたのではないだろうか。
未来への霊感を示していてくれた彼女がいなくなって、いまは周囲にある不可視の知識や情報の空間が微妙にねじれているかのように感じる。

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2015.02.21

歴史主義

「歴史」から現在の物事をとらえる「歴史主義」は、一般的に広く行き渡っている概念だ。もっともその定義は多様であるようだが。

自分のなかにも、歴史主義的な思考方法はあると思う。それは少年のころに影響された歴史観、つまりヘーゲルからマルクスらへとつづく歴史の捉え方が自分のなかでは長期にわたって支配的であった。このような歴史主義は、60年代〜70年代にはごく普通にあったし、いまでもよくあるものだ。

典型的な歴史主義に共通の物言いは、「歴史が証明している」という言葉に表れていたり、「XXに回帰する」などというのもその例だろう。

個人史などのごく身近な歴史で言えば、人の世の世代間での物事の伝播は、だいたい60%前後だと思う。二世代、つまり親子の間ではおよそ60%ぐらいの割合で共有できるものがある。逆に言うと、30%から40%ほどの幅で、世代間では異なる内容や質のものがある。この割合からすると、三世代では、共有できるものは30%ぐらいとなり、70%から80%の幅で、共通しない、あるいは共有できないものが生じる。(これはぼくの当てずっぽうな概算に過ぎないのだが、自分にあてはめるとわりとあたっているような気がする。「親子」というのは、文化的にはほぼ同世代に近いのだ。)

哲学などの分野で言われてきた歴史主義的な捉え方とそれに立脚した方法からは、ぼくは次第に距離をおくようになった。それは1990年代から始まるデジタル技術とそれによる社会の変容を経てからのように思う。
21世紀を形作っているデジタル技術は、過去の技術とは比較できないほどの変化をもたらしている。これは、20世紀以前では捉えきれなかった宇宙のひろがりから、極私的に個人があつかえる空間や時間に関する概念やそれへの感覚を変えたり、言説の伝播のあり方を変え、人間を含めた生物の構造に関する観念を変え、その他にも生活の細部にいたるまでを変えている。

そういうふうに認識することで、ぼくは過去から類推して現在を語るという方法を極力使わずに、現在を分析するように意識を変えている。つまり「事態は常に新しい」と考えることだ。

現在の社会状況は、過去にある、数千年前からつづく宗教観や、20世紀前半に大きな勢力になってしまった全体主義的な傾向の再来などを思い起こさせる。もちろん現象的に似ている事象はたくさんあって、過去のものとの類似性を指摘するのは社会心理学的にはうなずける。例えば、全体主義を生み出すような社会的な条件があれば、やはり同様な現象を生み出しやすい。

ただ問題の解決法は過去に見つけることはできず、現在進行中のものから未来の条件にあったものしか解決は見つけられないものだ。一見すると過去の事象と似ているが、いま起きていることは、現在的なものなのだ。
だから解決するには新しい方法を生み出すしかない。


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2015.01.27

「成長」の概念

経済に関する興味深い書籍が、昨年あたりからつぎつぎと出てベストセラーに選ばれている。すでにかなり話題になっているが、日本では水野和夫の「資本主義の終焉と歴史の危機」であり、世界的には、トマ・ピケッティの「Capital in the 21st Century」だ。
データなどの基礎資料の違いはあるにしろ、おおよそにおいて論旨の構造はよく似ている。またどちらもが、近代から現在の資本主義のあり方、富の分配と格差などにおいて、われわれの経済のあり方の限界を指摘している。
どちらも興味深い本であり、書店に平積みにされるほどの話題の書だ。

自分の経済学的な知識と理解では、基本的な事柄を咀嚼する以外にないのだが、それでも10代のころから経済学の本を読みかじってきたので、強い関心を持ちながら読んだものだ。

ピケティの「資本収益率が経済成長率より高くなる」という指摘は、おそらく現行の資本主義の体制の帰結ともいうべきところにあるのではないだろうか。富が一部に集中していき、中間層が崩壊していく過程が顕著になりつつあることは、すでにかなり周知のことのように現れている。
同様なことは、水野和夫氏の指摘にもある。また彼の指摘で興味深いのは、資本主義が「フロンティア」あるいは「辺境」を失ってきていることを資本主義の終焉の原因とするところであり、それらが無くなるところに現行の資本主義が存立しえなくなりつつあることを言っているところだ。(ヴァーチャルとかサイバーとか、あるいはボディーやマインド、またはスペースとかいうものが、テクノロジー社会のフロンティアのように言われるが、それは富の分配のシステムとしての経済活動としては幻想ではないだろうか。)

ところで、ぼくにとっては、両者の指摘を受けながら、それがどのように社会に関連していくのかを自分の領域であるデザインやアートから考えることになる。
ここのところぼくの関心は、経済の「成長」が限界を迎え、成長しないことが必要になるとしたら、その社会的なイメージをどう描くかということにある。「成長」というのは、そもそも生物的な言葉であり、経済活動といえども、生物的な活動の延長にある。そうすると成長しないということに取って代わる経済活動のイメージは何なのだろうと考えている。

なんの裏づけも確信もないが、生物の自然成長的なイメージから、むしろ時間とか変化などに関する物理学的な概念が次に来るのではないかという気がする。
より高度に抽象化した概念をもって、社会を営んでいく段階に入っているように思う。

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2015.01.01

90年代の「変化」について

1990年代とはどんな時代だったのか。
90年代について、あらためて考えるようになった。(芸術分野での90年代を再確認するきっかけは、英訳されたNicolas BourriaudのRelational AestheticsやPostproducitonや、Claire BishopのArtificial Hells、Shannon JacksonのSocial Works: Performing Art, Supporting Publicsなどの著作に見られる社会と芸術表現のあらたな関係について述べてものの影響でもある。)

この時代は、テクノロジーの観点からすれば、それは明確に区別される時代だ。一言で言えば、あらゆるものがデジタル化し始めた時代である。たとえば人間のDNAの全解析が、この技術によって実現された。これはひとつの例だが、ほかの分野にも大きな影響を与えるデジタル技術の象徴的な事柄だ。
またUNIXという形で特殊に使われていた技術が、その箍(たが)が外れて、インターネットという形で、世界中でグローバルにデータの交換が可能になった。これは世界についての把握、理解を、急速に変えた。

デザインという領域では、いつの時代でも、技術変化からの影響は多大だ。90年代以降、デザインは根こそぎに方法論が変わった。コンピュータが従来の手仕事でやってきたことに大きく関わるようになったし、さらにその後のことだが、オープンなデザインの開発方法が、思考方法も変えている。

アートの領域では、この大きな技術的変化に直接的に反応したのが、電子芸術(さらに言えばデジタル電子芸術だが)であった。
デジタル技術は、人間の知覚や思考にまで影響を与えるものであり、そのインパクトは、蒸気機関、電力、あるいはテレビ放送などの技術と比較しても、その威力は比較できないほど大きい。
技術は社会にたいして大きな影響を与えるが、技術そのものがアートになることは、まずない。蒸気アートや電力アートはないし、テレビ放送も「ビデオアート」という映像アートが、時にテレビにオマージュを捧げたことがあった程度のものだ。
ところが電子芸術は、最新の電子技術によってもたらされている表現方法の拡大を最大限に利用している。
このような技術に対応しながら展開されている表現には、バイオテクノロジーの発達に対応したバイオアートのようなものがある。バイオアートは、先述したDNA情報の把握のように、電子技術の発達によって可能になったものであり、電子芸術とかなり重なった分野でもあるだろう。

電子芸術は、アナログ電子技術があったように90年代以前からもあったが、デジタル技術によって90年代に大きく拡大した。そういう意味では90年代からの芸術であると言っていいだろう。
しかし、電子芸術は、90年代に花開いたものだが、それがアート全体にとって90年代的な内容を決定したものではない。

90年代のもっとも特徴的なことはなにかというなら、「現代アート」という分野の表現の思考方法が、西洋での文脈を完全に逸脱したということだ。
「現代アート」というのは、様式ではなく、思考方法だと理解されるようになった。つまりそれまでのアートは、様式として変遷してきたものであり、基本的には西洋ローカルなものだ。歴史のなかで、建築様式が他の国々に伝播するように、ある地域のアートの様式が他の地域にも伝播してきたが、とりわけ「近代」というのは、西洋の生活様式が世界化したように、ヨーロッパの近代絵画が世界化して、芸術は「西洋的」であることが基本となってしまった。

90年代以降にアートの世界で起きてきたことは、様式ではなく「思考方法」に重点が置かれるようになったおかげで、欧米以外のアートがおおいにとりあげられるようになった。その思考方法というのも、それまでの芸術表現の諸潮流の主張などともちがって、個人がどのように考えたり、彼らがとりもつ諸関係にどのように関わるかという方法論みたいなものに関心が持たれるようになった。そしてその個人というのは、西洋的な文化からも離れて、アジアでも、アフリカでも、南米でも、世界のどこにいてもアーテイストが持つユニークな思考方法が注目されるようになったのだ。(日本のオタク文化やそれと同調したアートの流れも、当然のことだが、日本的なユニークさを象徴していた。)

21世紀初頭もかなり過ぎて、この世紀の文化について思考する時、その発端は90年代に見ることができるのだ。

ここしばらくは、この時期についてもう少し検証してみたい。渦中にいると見えないものが、いまになって見えてきているからだ。

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2014.11.30

雨傘革命

進行している大きな革命に遭遇する機会は、滅多にあるものではない。(もちろん微小な革命は、気づくか気づかぬかは別として、日常的に進行しているものだが)

デザインの会議のために訪れた香港での余裕のない日程だったが、帰国する日の朝に、学生たちが占拠している地区を訪れることができた。

まず到着したときの印象は、思慮深く実行されている活動だということだ。ある自主的な規律があって、整然とした様子は、学生たちの人生に深く関わってくる状況に対して、真摯に取り組もうとしていることの表れなのだろう。
占拠地区には、たくさんのテントが並んでいて、この一つの地域だけでもかなりたくさんの学生たちが住みついているのがわかる。そこには、学習室のブロックが作られていたし、講師がやってきて自主講座のような「授業」も行われていた。またリサイクルも徹底しているし、あらゆる日常的に必要なことがらは、共同で管理されていた。

日本のかつての大学紛争や、また文化大革命の紅衛兵たちの活動は、多くはひたすら「破壊」的だったが、現在の香港の雨傘革命に参加している香港の学生たちの活動は、むしろオープンとか、オルタナティブという言葉で表現したほうが適切であると思う。あるいは「自律的」という言葉が正しいのかもしれない。

中国政府のロジックは、巧妙かつ強硬な政治権力の運用であり、そのハードライナー的な要素が強くなれば、この小さな革命は木っ端みじんに粉砕されてしまうのは明らかだ。だが一方で、この革命は、世界の自由な人々とのネットワークとの上の微妙にバランスがとれたところにもある。一見すると脆弱そうに見えるが、意外と強い力に支えられているようにも見える。

案内してくれた学生が道をふさぐバリケードは、とてもしっかり作ってあると説明してくれた。だが。それはどう見ても機械力の前には簡単に取り除かれてしまうものにしか見えない。実は、この占拠も、ちょっと前なら簡単に一掃されていただろう。だが、いまは、そうはいかない。「世界の目」が見ているからだ。(いったい、この「世界の目」とは何だろう?)

ここが破壊されたなら、歴史は数十年戻ってしまうような気がする(実際には、歴史が戻るということはないのだが)。
中国にとっても、ここを破壊するということは、自らの首をしめることになりかねないところにあるのだ。それに気づいている人が中国政府のなかにもいるかもしれない。

雨傘革命は、そこに参加している人たちが思い描く以上に、21世紀に大きな影響を与えるだろう。

占拠地区の無数にあるテントの群れのなかを歩いていて、とても胸が熱くなるのをおぼえた。


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2014.10.30

芸術物語

芸術史にまつわる「物語」は多々あるが、社会史から見た「同時代性」を共有したものが多い。

その典型はロマン主義。18〜19世紀の西欧近代のロマン主義は、文学、美術、音楽、そして政治までを含めた芸術物語の典型の一つだ。まさにロマンチックで革命への思いをはらんだ熱い感情が、国を越えて広がっていった文化だ。このロマン主義な衝動は、その後も波紋のようにつながってきた。

芸術には常に物語があり、物語があってこそ「名作」は世に知られ、残っていくものだろう。文学、美術、音楽などの個別のジャンルの歴史でも、物語られてきたものである。

しかし、1990年代以降にポストモダニズムの傾向が顕著になって、芸術諸分野における歴史性をおびた物語は、ほぼ消滅してしまった。
それまでの芸術は、ある強固なストーリーで解釈していれば良かったし、それが所属する大きな物語の変遷を語る歴史が存在していた。
近代のロマン主義、自然主義、象徴主義、超現実主義あたりまでは、文学、美術、音楽は、ある物語を共有していた。美術と音楽の関係でも、ミニマリズムあたりまでは、共有する明確な物語的な内容を持っていた。
だが1990年代以降の芸術は、とくに大きな物語では語ることができなくなった。美術史は、80年代までは、ある主要な特徴をもった傾向を連ねて説明することができた。その最後はコンセプチュアリズムあたりだ。
80年代の抽象表現主義的なリバイバルは、単に市場的な需要によってもたらされたものだし、中国の現代美術作品のブームも、「社会主義」の「物語」を利用して市場的な興味をもとに作られたものだ。もっとも後者は、欧米を中心とした美術の物語の面白みが失われてしまった時代に登場し、欧米以外の地域の物語を世界市場に持ち出すきっかけとなっており、非西洋の物語の始まりとしてのストーリーを提供している(もちろんそこには非西洋圏の経済の拡大ということもある)。
日本の美術作品も、「オタク文化」というある意味突出したポストモダン的な傾向に特化したものがとりわけ注目されたのも、そういう物語に価値があるからだ。

近現代美術史を語ってきた方法は、しばらく前までは有効であったが、現在直下の状況を語るにはあまり手がかりにはならないだろう。
ただ物語の消費というあり方さえも、いっぽうでかなり「消費」されていて、それでもけっきょく芸術は新たな物語を期待されている。

それがあらたに書けるかどうかは、アーティストの課題。


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2014.09.27

データが支える国家史

人間は「サル目としては極めて大型の種」であると説明されると、そうか、自分はサルからの発展形なんだなと思う。

生物種としてサルから分かれて人間として歩み始め、さらに「社会」を形成してきた。その社会は、仔細に内容がわかるものはまだ六千年ほどのものだ。また文字による記録によって、その社会制度がどのようなものであったかがわかる。

昨今の東南アジア、極東での国家間の領土問題で、領土の所有がどの国に属するかというやりとりが、古代の資料が根拠とされているのは、きわめて「21世紀的」なことだと言える。なぜなら20世紀は、そのような古代史に示された領土の定義で、領土を確定しようなどとは考えられなかった。世界に近代国家が60カ国ほどあるだけで、その他の部分は植民地か属国のような20世紀前半までは、国家の主権にもとづく領土というのは、限られた範囲にしかなかった。
1934年に発効した「国家の権利及び義務に関する条約(モンテビデオ条約)」の,第1条では「国家の要件」は:
1 永久的住民
2 明確な領域
3 政府
4 他国と関係を取り結ぶ能力
と定義している。
第二次大戦後は、次第に多くの国が独立し、独立国家の数は、かつての三倍を越えている。ただこれまでのところ、国家の「明確な領域」は植民地時代に定められたものが色濃く残っている(とりわけアフリカ)。

いまこのような枠組みを変えて領土を確保するのは、資源の確保が動機になることが多い。つい最近のスコットランドの独立騒動は、いまさら英連邦から脱退することなど、あり得そうもないところに起こったことで、その背後には資源問題があった。もともとスコットランドの独立というのは、文化的な背景をもって政治にもいくらかの影響はあったが現実性はとぼしかったものだ。

アジアで起きている領土問題も、ほとんど資源問題が中心であるが、それが文化や民族主義などの装いを持っている。ある場所が、自分が所属する国家とその民族のものであったことを示す文献が、現在、再度、意義を持ち出しているのは、人類史的に考えても面白い。(このようなことを機に、古代史の地政学的な意味を問うことが盛んになった。)

このように現在の社会の背後にあるのは、文字で示された歴史主義なのだ。未来主義があるならば、古代主義ともいうべき価値観があるだろう。

歴史というのはデータの積み重ねであり、そのデータをうまく使うのが、現在の国家に必要な技術だ。古代史データは、現在のビッグデータのように利用価値がある。

国家はいつもデータで支えられている。

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2014.08.29

未来主義

「戦争は美しいものである。なぜなら、ガスマスクや威嚇拡声器や火焔放射器や小型戦車によって、人間の力が機械を支配していることを証明できるからだ。戦争は美しい」
フィリッポ・マリネティ「未来派宣言」より


ふだんはあまり意識していないのだが、あえて近・現代美術史のなかの芸術の潮流を俯瞰していると、ほぼいつも目をとめるのは、ロシアアヴァンギャルド、未来派、ダダ、ネオダダ、コンセプチュアリズムだ。

とりわけイタリア未来派は、アートのミーハーな特徴を最初に世界近現代美術史に記した潮流だ。その後は、超現実主義、ダダからポップアートを経て、現在のミーハー系のアートに続く。美術批評家は、そのミーハーな部分にもっともらしい解釈を加える。それが現代アートの表現と批評の構造だが、その先駆的な部分を担ったのがイタリア未来派だ。

この未来派宣言は、20世紀のはじめの方にでたものだが、その世紀のかなり長い時期に通底していた感覚を表しているかもしれない。テクノロジーが開くものは、常に未知のものであり、そこには常に新たなロジックや認識を持っている。
機械、テクノロジーの進歩は、近代から現代、そしてこれからの未来にもわたって、加速度的に進むものであり、それが停止するときは、歴史の終焉を意味する。進歩するということは止められない。
それは生物の進化と同じことで、常に進化し続けている。現在に於いて、生物の最高の進化形態である人間でさえもまだ進化の途中にあると考えられる。
ただ人間は、生存ということに関して、かなりシリアスに考えなければならない段階にある。これは通常の認知活動のレベルをはるかに越えたものだ。これは科学をもってしかなし得ない(ただその科学の定義に関しては、人文主義的な考察が必要なのだろうが)。

未来主義的な傾向は、見かけのラジカルさ、奇矯なあり方にも関わらず、政治的には保守主義やファシズムに流れていきがちかもしれない。

未来に対して、われわれがまずとるべきは、20世紀的な方法や価値観を止揚することだ。


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2014.07.30

「九月、東京の路上で」で起きたこと

平らかな生を楽しむ国びとだと思っていたが、一旦事があると、あんなにすさみ切ってしまふ。

折口信夫
日本近代文学大系 46巻 折口信夫集
「九月、東京の路上で」での引用より

数年前に東北での大震災があり、また常におおきな震災が周期的に起こるこの国では、震災については、防災技術の観点のみならず、社会や文化の問題としても常に念頭に入れておくことが多々ある。

関東大震災のときに、朝鮮人、中国人、労働運動家、社会主義者が、民間人の「自警団」、軍隊などに虐殺されたことを、少年のころに知って「デマ」をもとに「自然発生」的に生まれるテロの恐ろしさを感じた。それ以来、ずっと気にはなっていたが、おおまかな情報を知るにとどまり、事件の背景にある状況などを知ることはなかった。

たまにアーティストたちのコンサートや展示などで訪れる「ハイチ」というスペースがある京成線八広駅のすぐ近くに小さな石碑が建ったのを、数年前のある日気づいた。「悼」という文字が大きく書かれた碑だ。(「関東大震災時 韓国。朝鮮人殉難者追悼之碑」

この碑を見たときに、少年のころに知った関東大震災の際に起こった「虐殺」の現場の一つがこの辺りで起こったのだということを理解した。と同時にしばらく忘れたようになっていた、この事件のことがさらに気になっていた。

「九月、東京の路上で」(加藤直樹著)という本は、自分のこころのなかで曖昧模糊として残っていた部分をあきらかにしてくれた。どのような状況があり、それがどのような範囲で起きていたかということもわかった。

少年時から馴染みのある世田谷の千歳烏山でも、虐殺は起きていた。このことはこの本を読むまでまったく知らなかった。高校生のときに、ここにある都立高校で朝鮮高校の高校生たちと交流会をもったことがあった。(誰も震災時のことは知らなかったので、話題には出なかった。だが、いまから思うと、そこで集まったことじたいにも、なんらかの縁があったのかもしれない。)

この本を読むと、9月1日の震災から日が経つにつれて「デマ」がひろがり、虐殺がひろまっていく様子がわかる。ほぼ完全に通信網、情報網が途絶えたときの突発的な事件のようであるが、社会的な心理のなかに、潜在的に民族差別があると同時に、「恐れ」(つまり他国を支配し、隷属させたいたりすることへの被支配者からの抵抗、反抗への恐れ)があるのが見える。さらに警察や軍隊というシステムがこのデマ助長していったことも重要な点だ。

情報伝達ということでも、東京の周辺の地域では、東京から焼けだされてすすだらけになった人たちが、当人も実際には確認していない、東京では朝鮮人の襲撃が始まっているという虚報を口にすることで、真実味を帯びて周辺地域に伝わったのがわかる。

またこの本が興味深いのは、文化人たちの「虐殺」への反応が書かれていることだ。冒頭の折口の言葉は、「国民論」というべきものとして、とても印象深いものであるのだが、この本の帯にも取り上げられている萩原朔太郎の言葉も、知識人が、虐殺について怒りをもって語っている例である。

朝鮮人あまた殺され
その血百里の間に連なれり
われ怒りて視る、何の惨虐ぞ

萩原朔太郎

劇団俳優座を起こした演出家、俳優の千田是也は、震災時に朝鮮人をとっつかまえようと街に出たところで、逆に朝鮮人と思われて自警団に暴行を受けたことから、「千駄ヶ谷でコーリア」をもじって千田是也という芸名にしたという。
実際に、朝鮮人と間違われて殺された日本人の数も多々ある、もともと見分けがつかないものだから、余計に「恐怖心」をあおるのだ。

ぼくは、関東大震災のときに起きたこの虐殺事件とその背景について、もっと知られるべきだと思う。また
20世紀の初頭と比較すれば、人間とその社会は進化していて、同じことは起こらないと思う。それは世界大戦は起こらないと思うのと同様に、20世紀の蒙昧な時代のことは同じ様には起こらないという考えだ。
だが世の中では、まだ戦争は起こっているし、レイシズムはなかなか絶えない。これらはまだ続くのかもしれないが、それでも終わると思う。(アメリカの黒人の公民権が与えられたのはやっと1960年代だが、社会の変化はそういう速度だ。)

ぼくはその解決の決め手は、文化と情報だと思っている。そういう観点からでも、「九月、東京の路上で」は多くの方々に読んでもらいたい。(また外国語にも翻訳され、世界のレベルでもまともに検証してもらいたい。)

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2014.06.30

ブランディングとして考えるテロ組織のロゴ・マーク

Branding Terror. The Logotypes and Iconography of Insurgent Groups and Terrorist Organizations」という本がある。

この本は、世界のテロリスト組織のロゴマーク・デザインを収集し、カラー計画、イメージなどをグラフィック・デザイン的に分析したものだ。
組織のあり方、思想などを、アイコンとしてシンボル化したものだが、そのメッセージ性はわかりやすい。

かつて社会主義と言えば、色は赤、そのシンボルは、鎌と槌であった。時には、シンボルは、星になることもあった。しかし、社会主義、無政府主義系のテロ組織は、いまではかなり少数だ。

この本で「テロリスト組織」としてサンプリングされているのは、多数がイスラム教の原理主義的なグループだ。
イスラム組織のシンボルは、アラビア文字が見られ、それから銃があり、さらにコーランらしき書物がアレンジされている。宗教的な熱情と銃が、これらの組織をまとめる絆でもある。

いっぽう、世界のテロ組織の傾向とは別のデザインに向かったものには、日本でテロを実行した宗教系の組織が見られる。これは他のものと較べるとまったく異質なもである。これも戦略的であると言っていいだろう。
特定の階級や階層があるわけでなく、また銃による主張の実現というのは、日本では考え難い。むしろいかに人々に「受ける」かというのが、戦術として妥当線をだしたものだ。

しかし、このいかに「受ける」かという戦術は、他の政治や社会的な活動に於いても、あまりにも一般化しすぎているようにも感じる。あらゆる分野でマーケティングやブランディング的な思考が幅を効かせすぎているようにも思う。

だが、現在のイラク内戦のような実際の戦争では、シンボルやロゴ・マークは、仮借ない血みどろな現場で使われているのだが。
誰が勝利をものにするのか?いや、むしろ勝利というのはなく、争いは永続的に続くのかもしれない。われわれは、それほど未来に希望を持てず、未来は希望の絶えざる消費のさきにずっと続いている。

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2014.05.25

幻想との戦争

「戦争」の歴史が生み出されたのは、「国家」が誕生してからであり、それは古代国家から近代国家までの歴史のなかに連綿と続いてきた。戦争というのは、国家の属性であり、国家があって隣国と国境を接している限り、絶えずあったものだ。

そう考えると「平和国家」というのは、単に一方的な宣言に過ぎない。また国際機関というのは、国家間の紛争の調停をするという難題に取り組むという努力のためにのみある。

資源をめぐる戦争は、同時に領土戦争であり、以前は陸上が主たる争奪戦であったが、アジア地域を見れば、尖閣列島、南沙諸島、竹島などは、海洋資源を念頭に置いた海洋での覇権争いになっている。
領海、領土主張についての各国の根拠は、歴史文書によっている。その真偽や有効性も現代の、とくに極東、アジアでの各国の領有権主張では、重要なものになっている。古代、あるいは近代以前の国家による領土観の有効性が問われるというのが興味深い。
つまり、現在は、領土、領海を、たんに強い国が武力制圧によって確保してしまうことはできにくいことも意味している。

最近、ロシアは国際宇宙ステーション(ISS)の使用を2020年まで参加しないことを表明し、地球の未来をシンボリックに表わすべき国際協力にも亀裂がはいっている。
宇宙空間や南極などは、地上的、歴史的な国家観を越えたものだが、宇宙の国際協力は、地上での争いによって影響を受けるようになったということだ。

国家を、幻想共同体であると考えるなら、戦争も実は幻想を根拠に遂行されているものだ。
地球人は、このことに気づいて、もっと有効な地球での暮らしを考えるべきときなのだが。

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2014.04.22

シェアする経済

もともと争いというのは、限られた資源や利益を奪い合うことから始まる。ひとつのキャンディをふたりが争うとなると、より熾烈な争いになったりする。キャンディは、わけにくいし、ひとつのものを複数人でしゃぶるわけにもいかない。

太古からこれまでのところでもっとも多い解決の方法は、パワーに頼ったもので、力の強いものがキャンディにありつくというものだ。
いっぽう、この問題の共同的な解決は、キャンディを分割する適切な方法を編み出す、キャンディそのものを必要に応じてつくり出すということになる。

現在の社会は、大半を占めるのは前者の方法で、国家というのは、そもそもが動物的な単純な「争いによる解決手段」を高度なものへと発展させてきた。実際の武力そのもののみならず、心理や情報の操作も含めて高度なものとなった。
現在の課題は、こういう争いによる解決という方法をやめて、シェアするにはどうすればいいのかを前提として考える社会を世界的につくっていけるかどうかというものだ。

領土、資源問題は、いまだに連続して世界のいたるところで頻発している。そしてそこで利用されている心理の基調は、多くの場合、古びた偏狭な「ナショナリズム」だ。

いっぽうでナショナリズムを基盤とした活動も、多様化してもいる。かつて社会主義も民族主義を援護し、またファシズムも民族的、血族的な優位性を根拠としていた。ロシアとウクライナを巡る紛争は、単にロシアの大国としての帝国的な支配と、それに対する少数民族のウクライナ人という単純な関係だけでは語れない。一見するとウクライナは、EUのような「自由主義圏」に所属するためにロシアの専制から独立するように見える。またロシア系の多い地域に紛れ込んだウクライナの活動家を捕捉したロシア系市民たちが、活動家を「ネオナチ」だと呼んでいる。専制主義、大国主義なのはむしろロシアだと思いがちだが、それだけではなく、ウクライナの歴史的な背景には実際にナチスとのつながりを持つものがあって、現在のウクライナ政権には実際にネオナチ的な潮流もまぎれこんでいたり、そういう歴史背景からきわめて複雑な様相を呈している。

社会の動向には波があって、それにはなにかしらの周期性があるようだが、現在はまたナショナリズムが幅をきかすタイミングだ。世界のいたるところでナショナリスティックな動きが見える。この状態のほうがむしろ普通であって、紛争をなくそうとか、世界平和とかいう波があるほうが珍しいのではないかと思えたりする。
ただすでに人間の争いによる解決方法というのは、定式化されてもいて、NGOのような国家にとらわれず、国境を越えた活動が活発にあったり、紛争防止のシステムはより巧妙になっている。

これから先、われわれが優先すべきことはシェアすることをシステム化することだ。生物的な進化のつぎの段階はそこにあると思う。

そのための実際の方法は?


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2014.03.26

安全神話とデザイン

事故によってデザインが見えてくる話は、すでに2005年から何回かとりあげている。

事故の大小によって、ふだんは見えないデザインが見えてくるものも異なるだろうが、2011年3月11日の東北地方の地震と津波、そして福島での原発事故によって見えてきたものの構造は通常では見えるものではない。日本の社会の構造設計の根幹部分がかなり曝け出されたと言ってよいだろう。

地震と津波、また原発事故で曝け出されたものの、最大のもの一つは、「安全」ということだろう。安全性というのは、デザインという技術にとっては、常に条件とされるものである。製品や建築などでは明白なものであるが、無形なものであっても、例えば情報のあり方は、安全性と密着していて、それはインタフェースの安全性もあれば、ネットや人々の会話などを通して伝わる情報の安全性もあった。

「安全神話」という言葉がある。常日頃、安全の神話性を指摘されていても、実際に事故によって、そのデザインが露見するまで、実感がわかないものは多い。それは津波の防波堤の構造であったり、原子炉の安全性などが顕著な例と考えられる。
安全神話は根拠がないものだが、政治家がこれを公言し、それをまた学者たちがいかにもありそうに説明して、ますます強固なものになっていく。
原発近くの浜辺で子供達と遊んでいたという話を聞いたりする。不気味な存在である原発施設も、気にはなるが、そのうちなんとなく大丈夫なんだろうなって思うようになる。そのまま続けば、安全神話の世界のなかで平穏に暮らしていける。

だが、そんなことはどこかで破綻するものだ。

デザインが、安全神話を補完するものであってはならない。311以後、デザイナーはこのことを胸に刻んでおくべきだ。


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2014.02.16

マリボル

ドラバ川が中心を流れる美しい街マリボル(Maribor)。

2月の初めから一ヶ月、スロヴェニアのマリボルに滞在する。ここのアーティスト・イン・レジデンス・プログラムに参加して、制作や発表を行う。

この街の人口は9万人ほどだという。それでもスロヴェニアで二番目の都市。スロヴェニアという国の人口は200万人だ。
東京都だけで1200万人、ぼくが生まれた目黒区が都心部の人口減があってもここの3倍以上の人口がある。そう比較すると、とても小さい街と国だ。

この国のことはあまりよく知らない。かつてユーゴスラビアの一部だった。ユーゴスラビアには当時のソ連の方向からは独立した、ユニークなチトー大統領がいたのをぼんやりと思い出す。学生のころにそのユーゴスラビアのアニメーションを見て、この国は、自由な雰囲気のある国だなと思ったことがある。彼は「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と言っていた。彼の独特な方針でユーゴスラビア社会主義連邦共和国はまとまっていた。

しかし1991年から2000年までの間、いわゆるユーゴスラビア紛争があったのは記憶に新しい。ソ連の社会主義の崩壊をきっかけに、ここでも民族主義が勃興して、連邦は崩壊した。
スロヴェニアは、隣がオーストリアやイタリアで、西側諸国に近く、1991年に「十日間戦争」で早々と独立してしまった。しかしほかの旧ユーゴの地域では、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争という凄惨な争いが続いた。
スロヴェニアの独立が早かったのは、もともとドイツ圏とイタリアを結ぶ要所である地政学的な点が大きいのかもしれない。

しかしおそらくそれだけではないのではないかというのを空気のなかに感じる。それは街が文化的なのだ。東京の一つの区よりもずっと小さいにも関わらず、そして経済も不振にも関わらず、人々は文化的な事柄への関心が高い。その文化も高尚なものだけでなく、クラブのような若者文化にいたるまで盛んなのだ。
スロヴェニアの歴史は、非常に複雑だ。逆に日本の歴史はかなり単純なのかもしれない。

特異な発明家ニコラ・テスラは、この街の大学に通っていたそうだ。彼は隣国のクロアチア人だ。テスラは、放蕩学生で、父親に故郷に連れ戻されたという。
また哲学者のスラヴォイ・ジジェクは、スロヴェニア人で首都リュブリアナの大学で教えている。ジジェクのことを語るのは、またの機会にするが、ジジェクがなにか時代錯誤の共産主義を持ち出しているというのは、言ってみればスタイルに過ぎないように思える。それはこの国の美しさと地政学的な位置に関連しているように思える。

いろいろな都市に滞在してきたが、ぼくは意外と、この小さな街の心地よさが気に入っている。


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2014.01.22

ライフスタイル

ハンス・ロスリング氏の統計学データの視覚化、つまりインフォグラフィックと、巧妙なトークは、世界をとてもわかりやすく、しかも本格的にとらえるものとして、いつも参照させてもらっている。
この「ハンス・ロスリングと魔法の洗濯機」というトークも、とても興味深いものだ。

このトークを見ると、スウェーデンでも洗濯機が家庭に入ってきたのは、日本と変わらない時期であり、それ以前は、桶と洗濯板で洗い物をしていたのがわかる。そして洗濯機が入ってきたことによって、生活のスタイル、女性とりわけ主婦の生き方が変わり、母親と子供のライフスタイルも変わったのがわかる。

このトークでさらに驚くのは、世界に70億の人間が暮らしているうち、わずか20億人が洗濯機を使っているということだ。洗濯機は無くとも電気を使っている人も含めた世界の電力利用者の人口は全部で50億人で、残りの20億人は、焚き火などが生活の中心。(たしかに数年前に訪れたマリの村は電気がなかった。それでも携帯電話はあったが・・)

世界の状況と照らし合わすと「エコ」とか「ロハス」というのは、実はとても余裕のある生活だから出てくるものだ。世界の8人に一人、つまり8億4千万人ほどの人たちが飢餓状態にあり、その飢餓は開発途上国に集中している。これは先進国の「飽食」の世界とも対比される。

もちろんこの現状は、どんどんと変化している。次の20年ぐらいでは、世界中で電気を使うことになるだろう。こういう技術の移転というのは、どんどんと世界を変えていくものだ。
技術が加わるといろいろなことが同時に変わってくる。先のロスリング氏の家に洗濯機が入ることによって、母親が時間の余裕を得て、子供たちに本を読んであげることが可能になったという。これは同じころに日本でも起こった。そのことにより、子供たちの勉強のあり方も変わった。
もちろん電気や洗濯機がなくとも勉強はできる。日本の学校では勉学の象徴として、かつては多くの小学校の校庭にあった二宮金次郎の像がそれだ。この像が、背中に薪を背負っているというのも象徴的だ。つまり当時のエネルギー源を背負って、勉学にいそしんでいたのだ。ただそれは尊敬に値するものだが、希有で困難な例でもあるため、シンボルとして普及していったかもしれない。

いまはオンラインの教育プログラムがどんどんと登場している。Kahn Academyのような、小学校から大学レベルの内容をどんどんと無料で公開しているものもあれば、OCW = Open Course Wareのような大学が授業内容を公開しているものもある。コンピュータの値段はどんどんと下がっていて、ネットさえあれば、無料で高度な教育を受けることができる。そしてネットの利用も、確実に広がっている。
この分野は多様化して、あらゆる学習内容に対応したプログラムが様々な組織から出ている。

世界はどんどんと変化している。一般的に人の変化への反応は遅れがちなのは常だが、この変化を読み取っていくことで、社会はこれまでにない生活のレベルを促進していくことができる。
知的なつながりは、世界を覆うようになっている。

世界大戦や植民地主義で彩られた前世紀の構造が払拭され、21世紀のライフスタイルがつくられていく。


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2013.12.17

極意と暗黙知

「切り結ぶ刃の下こそ地獄なれ踏み込み入ればそこは極楽」
よみひとしらず


暗黙知とは「知識というものがあるとすると、その背後には必ず暗黙の次元の「知る」という動作がある」ということを示した概念である。(Wikipedia)


武術の極意というのは、おそらく暗黙知の極地ではないかと思う。これまでの歴史上の達人たちが、その到達し知識の地平を、凡々とした弟子や一般人に伝えようという困難な努力して、さまざまに書き残している。もちろん口伝もあるが、伝えようとすることじたいは、暗黙知にある。

自転車の乗り方の例が、暗黙知の説明によく取り上げられるが、自転車の乗り方を記述したり、口述したりすることはできても、またそれを読んだり、聴いたりして、内容は理解できたとしても、それですぐに自転車に乗ることはできない。腕とハンドルに対してどのようにかまえ、足をペダルにどう乗せ、そして身体はどのようびバランスを取るかをさんざん述べて、そして理解しようと努力する受けてはその文句を頭に叩き込んでも、それでも自転車に乗れるわけではない。ただ自転車に乗る練習をしているうちに、そのうち乗れるようになる。そして乗れるようになれば、その後もほぼ一生、自転車に乗ることができる。しかし、その乗り方を知識として伝えようとしても伝えることはできないものだ。

王宗岳の「太極拳経」は、太極拳という、武術としてはとてつもなく修得に時間のかかる複雑な武術の要点をかなり適切にまとめてうたいあげたものだ。
これ以外にも、幾多のこの武術の要点を記したものがある。しかし、それらがとても合理的にうまくまとめてあっても、それを読んだけでは理解、いやこの場合は体得することはできない。

「立てば平準の如く、動くと車輪の如し」というのは、太極拳の境地を示した言葉だ。未熟な段階ではあっても、このことを念頭に置くかどうかで、その境地まで達するかいなかの鍵がここにあるだろう。だが、これは自転車乗りの教訓のレベルでは到達できないものである。しかし、自転車乗りと同じ方法論にあるものでもある。

おそらくこれは他の武術でも同じことが言える。また職人の勘とか技にも同様なものを見ることができる。
人間の社会には、文字や言語で伝えきれない暗黙知のネットワークがあるように思える。それは「感じる」ことを通してしか知ることができないようなものだ。

すごいものは、みんなファジーfuzzyだ。

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2013.11.10

国家の疑惑?

2001年9月11日に起きたニューヨークのワールドトレーディング・センター・ビルへのハイジャック機の突入と、その後に起こったこのビルの倒壊は、強烈なイメージで人々の記憶に残っているだろう。銀色に輝くこの建物の崩壊は、始まったばかりの21世紀の前途に暗澹たるものを予感させるのに十分なものだった。

これまでビルの倒壊に関しては、ごく一般的な人々は、アメリカ政府やその他の専門家組織が発表した報告を聞いて、前例がないものだけに、「そんなものか」とそれらを信じていた。
しかし、それでもビルが崩壊する映像には、なにかおかしなものを感じたりしたのではないかと思う。こんなに簡単に、超高層のビルが壊れるのだろうかと。

9/11: Explosive Evidence - Experts Speak Out は、建築の専門家たちが、専門分野の知識、経験、知見から、このビルの崩壊の有様を見て異様さを感じたところから、技術的、科学的な見地からその異常な様子を解明しようとしたことであり、またアメリカの政府やその機関が、ひた隠しているものが何なのかを問うとする筋書きのものである。
ワールドトレードセンターのツインタワーもそうだが、とりわけ第7ビルの崩壊は、ビル解体のプロでなくては不可能なビル解体の仕掛けによる状況を見せていると言われると、誰の目にもあきらかなほど理解しやすいもののように思える。

この映画は、この程度の火災では倒壊しないはずの高層ビルが倒壊したことへの着目と、政府などの報告が大きな欠陥を持っていることを告発しているし、また証拠保全などがなされなかったりと様々な事柄をとりあげている。ここで論じている建築の専門家たちの意見は、実証的であり、論理的な構造として成立しているように思われる。しかし一方で巷間にはこの様な意見に対して「陰謀説」を指摘する意見もあり、この映像への「反論」もあったりする。この陰謀説論も、とても興味深い。陰謀説を利用することは、古来よりあったことだが、20世紀以後のメディアの発達によって、またきわめて複雑な様相を見せている。社会的な問題のあるところ、何かしらの陰謀説が存在しているかもしれない。

この映画のもう一つ興味深いのは、こういう「事実関係」が明るみになったのを知った時の人々の心理的な反応についても取り上げていることだ。そこには、自分たちが頼りにすべき政府がなんらかの重大な事柄を隠蔽していることを信じたくないという心理が働くことも示されている。

国家は信じられないという感覚は、それでもだんだんと拡大していくのではないだろうか。国家というものを信じなくなり、社会の機構を変えていくという必然性を人々は徐々に理解していくのではないかと思う。
21世紀は、国家を越えていなければ進歩はないと考えるようになるだろう。急速に変わるものではないが、ある条件に達すると水が沸騰しはじめるように、次の社会システムを考えるようになるように思う。

この映像の評価は、時のなかで明るみにでるだろうが、その結果がどうであれ、20世紀まで続いてきた国家という装置と社会のありかたが、だんだんと時代にあわないものとなることを象徴していると言えるだろう。

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