2009.07.04

ラジカルネーチャー

物質観にも、歴史性があるのは当然だが、映像が登場してから、大きく物質観が変わったのではないかと考えられる。ただ、これは、心理的なものに結びついていて、客観化しにくいものかもしれない。

夢は、テレビが白黒テレビであった時、モノクロであると言われていた。たしかに、ぼくもモノクロ・テレビの時には、モノクロの夢を見ていたように思う。ぼくは、このことがやや気になっていたのだが、今は、モノクロで夢を見ることは無い。モノクロのテレビのイメージを知っている人というのは、少数になってしまったので、検証しきれないかもしれない。
どうもわりと多くの人は、モノクロの夢を見ていたのだが、テレビがカラー化してからは、カラーで夢を見る人が半数を越えるともいう。またカラーの夢を見るのは、特殊だというような話もある。夢はもともとモノクロで、思い出すときに色がつくという考えもあるという。これらは自分の経験以外では、他人に聞くしかなく、どれだけ一般性があるのかを検証するのは難しいただ徐々にモノクロの夢を見る人は少なくなるのだろうか?

こういう人工環境が、人間が本来あるはずのものを変えていくということがどれだけあるのだろうか?上の話では、モノクロテレビが無い、あるいは電気などが無い時代の夢はどうであったのだろうか?
これまで様々な技術の出現によって、人間はものの考え方のみならず、肉体機能も変えてきた。だが、それがどのように変わってきたかは、あまり考えられていないかもしれない。

ここのところ新しい建築の形状が変わってきて、それがCG、デジタル映像の影響であるのは明白なことであり、それらの設計にコンピュータは欠かせないのだが、単に技術のみならず、思想とか物質観もコンピュータなどの技術の影響を受けていると思う。こういう感覚は、だんだんと普通の人々の感覚にも浸透していっている。

最近、アーキグラムやアントファームなどの建築やアートの資料を集めて見ていた。イギリスでは、バクミンスター・フラーやスミッソンなどの60年代のアートから現代のものまでにフォーカスを当てて、環境との関わりを考えていくRadical Nature–Art and Architecture for a Changing Planet 1969–2009 という展覧会、シンポジウムが開催されているという。この展覧会で紹介されていて、これまでもイメージとしては知っていたが、詳細を知らなかったAgnes Denesの、ニューヨークのバッテリーパークで実際に畑を耕した作品などは、あらためて興味深いものだ。またここからRestoration Ecologyという考えにもつながっていく。

環境とデザインあるいはアートというのは、自分の関わる重要な領域の一つだが、人工と自然という関係で、もっと考える必要があるように思う。自然と反自然の間の多様性をもっと考えなければ。

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2009.06.20

川を写したフィルムを川に映す

山中信夫の1971年のフィルム作品「川を写したフィルムを川に映す」が、6月18日に多摩美の上野毛校舎近くの河原で再現された。正確に言えば、山中信夫がディレクションして美共闘Revolution委員会が制作したものだ。

生前の山中さんは、いつも静かに微笑んでいて、いろいろな意味でラジカルな多摩美の先輩たちともちょっと違った雰囲気の持ち主だったのだが、それは多摩美の闘争が「終息」してしばらく経ってから会ったからなのか、生来のものなのかは知らないが、おそらく後者だと思う。
34歳の若さで夭折されたので、あまり話す機会はなかったのだが、山中さんのことは、周囲の人々から伝説のように聞かされていたし、多摩美の教授であった美術評論家の東野芳明さんの口からも、よく名前が出ていた。

山中さんが滞在先のニューヨークで急逝された後、水道橋の全水道会館で追悼の集まりがあった。たくさんの人が集まったのを憶えている。集会の最後で、いきなりビートルズの「マジカル・ミステリー・ツアー」がかかったのが、とても鮮烈だった。この曲で、彼の生と死を納得させてしまうほど、ぴったりの演出だった。ビートルズの曲で、これほどしっくりと気持ちがあったのは後にも前にもない。

1971年に実施された「川を写したフィルムを川に映す」は、わずかな観客しか集めることはなかったが、東野さんが紹介して、思わぬところまで広がった。
ぼくは大学を出た後は、アートをやりつつも、広告業界の真っ只中にいたのだが、ある日、有名なアートディレクターが書いているエッセーのなかで、このイベントのことが語られていたのを見つけた。彼は、このイベントのことを知って、川に川を映すなんて、アートをやっている人は、おもしろいことをやるものだと思ったそうだ。広告業界で、アイデアをふりしぼっていた時期でもあって、山中さんを知っていただけでなく、アーティストでもある自分のことも勝手にだぶらして喜んだものだ。

この日、ふたたび多摩川に投影された映像を目の前に見ていて、当時の「反芸術」的な傾向で読み解くよりも、むしろかなり複雑な構造を感じた。まずフィルムの撮影場所は上流であり、撮影時間は昼間であり、それが二子玉川の河原で夜間に上映されたものだ。川の流れの速さは上流と下流では違っていて、川面には、速度の異なる水流を同時に見ることになる。

単純に考えてもそこには時間と空間の移動というか、ワープみたいなものがあった。そういう光学的に風景を変化させる衝動があって、それが後にピンホールの作品につながっていったように思う。

最近、Situationistの文献をいろいろと読んでいるのだが、彼らの活動がどのようにして終息していったのかという視点からも読んでいる。同様に、文化活動でもあった全共闘がどのように終息したかを考えるのにもつながる。

また、あまり大きな成果をもたらさずに消滅してしまったかのようであるそれらの活動であっても、一条の光として残っているものは何かと考えてみる。その光がこれからまた拡がっていくことはあるのだろうか。
山中さんの作品のピンホールからの光は、そういう意味でもシンボリックだ。

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2009.06.14

離騒

「琴癖」という言葉は、知識人である文人が琴(きん)という楽器をちょっと弾いてみる、あるいはあえて演奏することをあからさまに言うのを憚って語る、というようなニュアンスがあるように思うが、どうなのだろう?

文人にとっては、自分の「表芸」である学問に対して、琴の演奏というのは「裏芸」のようなものであるかもしれない。

そういう意味では、ぼくもまさに琴癖があるのだが、自分にとっては、アートが表芸であって、やはり琴を弾くというのは、裏芸なのだろうかと時々自問している。
このあたりというのは、定義というか心構え次第なのかもしれない。例えば、江戸期の画家浦上玉堂は、自らを「琴士」を名乗っていたが、それでも後世(もしかしたら当時も)、彼の功績は、やはり絵画に代表され、琴はそれを彩る副題のようなものだ。彼にとっては、琴が至上のものであって、絵画はそれに次ぐものという意図はあったのかもしれないが、そうはいかないものだ。

近代の琴の名手である管平湖は、美人画の名手でもあるが、やはり彼の場合は、琴の奏者というあり方が他方を圧倒していると思う。

遅々として、なかなか上達しない自分の琴。琴の音色は、奥深く、まだまだ道は長い。

北京で初めてこの楽器に出会ったのは、「離騒」という名前の茶館だった。そのときは、この茶館の名前もが、琴曲の曲名であるとは知らなかった。

「離騒」は、美しい曲だ。そして、騒がしさから離れ山水に遊ぶというのは、知識人の理想でもある。

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2009.06.04

Delirious Beijing

天安門事件から20年経った。

昨日リーダーの一人、ウアルカイシ氏が、マカオで中国公安に逮捕された。裁判で、天安門事件の真実について明らかにしていくという。世界は、これを見守るべきだ。

天安門事件は、中国共産党と人民解放軍の限界を示したものだ。これはかならず、今後の歴史のなかで明らかにされていくもので、これを明らかにしないで逃れることはできないだろう。またそれは、チベット問題や様々な現在進行している諸問題にも関連してくる。

天安門事件が起きた時、ぼくはニューヨークに住んでいた。いろいろな新聞やニュースなどで情報を集めていた。日本の新聞は、どの会社のものもあまり役にたちそうになかった。
またそのころ友人を通して知りあった人がやっていたハッカーの雑誌には、中国公安が設けていた密告のための電話番号のリストが載っていて、その電話番号にアクセスできないようにしようという呼びかけがあった。

2月の元宵節に、北京で建築中の中国中央電視台の新本部ビル敷地内の建物の焼失は、中国の現体制のこれからを暗示しているような気がする。
またこの本社ビルの建築設計を行ったレム・コールハウウスにとっても、この焼失によって、まさに彼の思想が(逆説のようだが)、成立したように思う。もともと建たなくてよいビルなのだ。
コールハウスのビデオのなかで、このビルのデザインを構想する時に、彼のスタッフが当初は「錯乱のニューヨーク(Delirious New York)」(コールハウスの著書)の方法で考えていたが、北京の場合は、それが通用しないのに気がついたというように話していた。ぼくは最近この本を再読して思ったのだが、意外とアーバニズムとしてのマンハッタニズムとベイジニズムは似ているところがあり、とりわけ都市での娯楽を目指している部分は共通している様に思った。中国のテレビ放送のあり方は、とくにその路線の様だ。中国のテレビ番組は、ニュースにしろエンタテイメントにしても、とてもうまく制作されている。

天安門事件は、エンタテイメントや現代性では乗り越えられないものだ。北京という都市は、多くの歴史と事件をはらんでいる。そういう意味でも、ニューヨークの方法は使えない。

使えるのは、ネットからの反攻か?

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2009.05.28

形状と発想

建築家のグレッグ・リンGreg Lynnが登場した頃に、彼がコンピュータグラフィックス技術にインスピレーションを受けて、彼の建築の発想を展開していったことが印象的だった。映像の問題ではなく、材料や構造が変化していくという物質の変化をデザインのなかに、とくに形状の変化に取り入れたことだからだ。

この傾向は、物理的な制約があっても、建築に少なからず影響を与えていると思う。いや建築のみならず、あらゆる物質観に影響を与えている。もちろんそれは限定的であるかもしれないが、それでもこれからのデザインやアートを考えていく上で本質的なものになっていくように思う。
Lynnの肩書きが、建築家と思想家(Philosopher)、さらに空想科学小説家になっているのが、彼の創造の立脚点を表している。
物質観が変わっていくというのは、まさに思想の変化の結果だ。

レム・コールハウスRem Koolhaasが設計して韓国のソウルにできたPrada Transformerは、使用目的などによって建築物の形状や構造が変化する。インタラクティブな条件が、建築を変えていくことに関心を持っている人々の間で話題になっている。
一方、皮肉な話だが、Koolhaasが北京で設計した中国中央電視台のビルがこの2月に大火に見舞われ灰と化したのも、何か物質観の変化を暗示しているようにも思えてしまう。つまり、どういうビルの構造を持つものであれ、あのような巨大ビルというのは、もともと権威のシンボル化のような過去の発想なのだ。放送という、国家に結びつき、操作されやすいメディアと、ネットとはかなり異なる。ネットから構想していく社会の形状は、過去のものとは異なっていくものだ。

Koolhaasの弟子にあたるF.O.A.による横浜大桟橋の設計は、もともと師匠以上の設計の質を持っているように思う。時々、横浜に行く機会があると行ってみるのだが、この空間は新しいと思う。この空間は、コンピュータが単なる設計の道具ではなく、アイデアとかコンセプトを展開させるための方法の結果、つまりComputer-Aided-Philosophyの結果だ。

以前、オランダの展覧会でNOXのLars Spuybroekが、ぼくの作品を展示する部屋の設計を担当して、彼にその時に会ったのだが、彼のデザインも、コンピュータグラフィクスのイメージから物質へという流れを踏襲している。

建築でのこの様なあり方は、まだまだほんとうに物質観を変えるには小さなものだが、それでもやはり新たな思想を形成する気がする。東洋思想にある物質観にも似ているところがあって、ことさらにそれに結びつける必要はないが、これからも頻繁に交差するだろう。

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2009.05.20

予報

朝から曇っていて、雨が今にも降りだしそうなのだが、天気予報では降水確率はそれほど高くない。そういう日は、天気予報をとるか、自分の肌で感じる雨の気配をとるかで迷うものだ。

天気をコントロールすることはできないが(部分的にはある程度可能だが)、そのパターンを見つけて、予報することはかなりの確実で可能である。また人工衛星によって、大気圏外という、気象条件から離れた条件の視点で、天候そのものをはるか上空から見ることができる。

新幹線で頻繁にダイアが組まれているのを見ると、関西で拡大しつつある流行病が東京にやってくるのも時間の問題だと思う。人の流れは乗り物を使って、以前では考えられない速度で移動しているものだ。

数時間も飛行機に乗れば、空気清浄が施された先進国のクリーンルームから、熱気と湿度と微生物があふれるジャングルのど真ん中まで、あっと言う間にたどり着く。
フライトの流れを俯瞰して見れば、きわめて生物的な動きをしているように思う。

直感で感じるものの予測確率は、かなり高い。

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2009.05.10

視聴覚と思考

デザインのための視覚と思考(Visual Thinking for Design)は、認知的な解釈をデザインに応用したり、デザインが認知科学的な方法にアプローチした方法でもあるものだが、この分野は、実際に応用がもっと広がっていくものではないかと思う。
Colin Wareの著書Visual Thinking for Designは、おもしろい本だ。彼の専門はデータ・ヴィジュアリゼーションが専門で、よくデザイン関係の本にありがちな認知科学的な解釈だけに終わらないところがいい。

ところで、ぼくが最近関心があるのは、デザイナーの眼とユーザーの眼はかなり違うということだ。とりわけユーザビリティが必要とされる情報デザイン、プロダクトデザインでは、このことに注意しなければならないと思う。

デザイナーは、訓練を経てデザインを行うようになるのだが、デザイナーとなった結果、特殊な能力を身につけ、それが技術的、手法的な落とし穴になることがあるように思う。
ドナルド・ノーマンが「誰のためのデザイン」では、エンジニアによる設計が機械の性能とか操作を優先し、人間の感覚とは相容れないものを作り、むしろ機械の方に人間を無理矢理に適合させることの危険性と不合理を指摘している。
このことは、デザイナーを職業とする人たちにも、かなりあてはまるもので、印刷物のデザインのように、対話性もなく、固定したようなものでも、レイアウトに無理があるものがあったりする。

WareがVisual Thinking Memory視覚的思考記憶は、ほかのものに簡単に置き換えられやすく、忘れられやすいことを、上記の本で述べているが、インタラクティブ性がデザインにとって、非常に重要な要素になっている状況のなかで注目したいことだ。
さらに言えば、ぼくは聴覚的な記憶というのも、かなり忘れられやすいように思う。もともと聴覚的な情報は、メモをとらないと忘れやすいものであるが、それは情報を視覚化するほうが憶えやすいからだ。記譜法の発達は、こういうことにも根ざしている。

また旋律などを憶えたり、音を聴き取るのは、かなり訓練された人か、先天的に能力が発達した人でないと、なかなかできないのだが、視覚に関してもそれはあるように思う。

現在のデザインを考えるとVisual + Aural Thinking Memoryという問題の立て方というのも、さらに考えられるだろう。いや、Visual + Aural + Behavioral Thinking Memoryというものも。

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2009.04.30

感染爆発

14世紀のペストの大流行では、ヨーロッパの人口の三分の一が死んだ。20世紀初頭のスペイン風邪では、日本では1%弱、当時の総人口5500万人に対して、30万人から最近の説では49万人ほどの人が死んだと考えられている。

パンデミックpandemic=感染爆発は、単に疫病の蔓延ということでなく、社外的にも大きな影響をもたらし、その後の文化にも多大な影響を残すものだ。感染爆発は、歴史的なエポックになる要素を孕んでいる。それがなにか人間の生物的な条件と関連しているような印象も抱かせる。

スペイン風邪(発生は実はアメリカだが)は、鳥インフルエンザのウイルスの突然変異によって起こされたものだそうだが、今回の豚インフルエンザから人同士でも感染する新型インフルエンザの発生する事態は、さらに過去を遡ってもたくさんあったのだろう。むしろ免疫のシステムというのは、そういうことへの対応で進化してきたのだ。

感染爆発にしても、また環境、不況、戦争、貧困の問題にしても、これらを解決するには、やはり地球全体の惑星的な考えがないと解決できないと思う。国境を越えて考え、行動するしかない。

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2009.04.21

惑星文化のイメージ

「国際化」といのは、今まで言ってきた同じ言葉の意味をは違った段階に入るように思う。ほんとうにこれから、現在では考えられないくらいに国際化していく時代に入る。

そう強く思うのは、経済とか政治が、すでに一国の裁量では、どうにもならないようなあり方になってしまっていることと、情報の流れ方がまったく違う段階に入っているというようなことにある。
このようなことは、一見関係ないように見える事柄でつながっていて、普通の尺度ではつかみきれない。南北問題、宗教問題なども、この流れのなかで変わっていくと思う。とりわけ情報が大きな影響を持つ。

20年ほど前にCNNができて、通信衛星による国際ニュース報道があるようになって、情報の国際化に衝撃を受けたものだが、現在のネットで世界を巡る情報量と比べれば、まるで話にならないくらいの量だ。
Skypeなどで1時間を超えるような長話をヨーロッパの友人としても、それをちょっと前の国際電話と比較してみることなども思わないほどに、国を越えて話すのは当たり前になった。
地球という惑星の上で、さらに人の絆が結ばれていく。20世紀のほとんどの間にはできなかったことだ。

「国際的」であるということに、どのようなイメージを持つかで、運命は大きく変わるだろう。
ローカルなイメージとグローバルなイメージが、両極を引っ張って拡大していく、地球の惑星文化のようなものが強力に進むと思う。またオープンな考え方が、技術から文化、そして政治、経済にまで及ぶようになると思う。それがどのくらいの時間で可能なのかは断言できないが、わりと早いような気がする。

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2009.04.09

メディアの方法

アメリカの新聞会社の様子を見ていると新聞メディアの凋落ぶりが目立つようになってきた。とりわけニューヨークタイムズは、印刷メディアの限界を乗り越え転換する路線を打ち出せるのか見てきたのだが、本社ビルを売却するなどして、経営状態の厳しさを見せている。

新聞という近代技術を使ったメディアが、ビジネスとしては、すでにかつての栄光を失う段階になってきた。新聞は、マスメディアというものだけでなく、映画「市民ケーン」のストーリーにオーソン・ウェルズが使ったように20世紀の富にもつながっていた。

メディアの変化は、社会に大きな変化を与える。グーテンベルグによる印刷技術が発達した結果、社会が一変した代表的な例は、宗教革命だ。印刷技術と日常語の使用によって、聖書の「神の言葉」という情報を独占していた古い教会の権力は崩れることになった。

情報を流すということで絞れば、メディア技術としては、インターネットでは個人や小規模な組織も大新聞社とさほど変わらない。もちろん取材力やその他の能力は別だが、それもある局面では、たいして変わらない。
そういう構造は、少しずつだがマスメディアに影響を与えてきて、この世界的な不況のなかで広告収入の減少という形でさらに決定的な影響を与えつつある。
消費者の購買行動でも、広告よりも、ネット上の口コミをまとめた情報のほうが商品の最終決定に影響力を持っている。

20世紀に華々しく拡大したメディアは、大きな転換点にある。

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2009.04.02

発想

ある時、ある発想によって、物事が大きく転換したりする。

その発想は、科学法則についてであったり、商売のアイデアであったり、社会の仕組みへの提案であったり、あらゆるジャンルで起こることだ。

科学の場合もそうだが、おそらくあらゆる発想というのは、それがいきなり登場するのではなく、それに先行する思索、研究、データ収集・・・などがあって、初めて可能になる。例えば、コペルニクスの前に、彼の発想へと導く研究(ドメニコ・マリア・ノヴァーラなどの)があって、それで「コペルニクス的転回」に至る。

自分が大学でやっている授業のテーマで、もっとも好きなのは「科学と芸術」という早稲田大学理工でやっている授業のもので、受講している学生がどのように思おうが(?!)、このテーマについて思索したり、調べたりするのはとても楽しい。
そもそも芸術にとって科学が必要ではないように、科学にとっても芸術は必要ではないのだが、それでもある部分では何かお互いにインスパイアされるものがあるように思う。
山本義隆氏の著書「一六世紀文化革命」を、この授業のなかでも紹介するのだが、「芸術家にはじまる」で第一章が開始されるこの本から、西欧ルネサンスの芸術と科学の革命期の話を始めるのは、もう一方のジョセフ・ニーダムの中国の科学と文明と対照されているものだ。
最新のテクノロジー・アートやバイオ・アートなどについても当然話すほか、科学と非科学の話など、対象とするサブジェクトが多いにもかかわらず、この近代や洋の東西をめぐる話への学生の反応も少なからずある。

いまはハードな時だ。だがルネサンス期というのも、その時代に生きていた人たちにとってはハードなものだった(と、アルビン・トフラーも言っている)。
何かが変わる時というのは、だいたいハードなものなのだ。そしていまは変革期だ。

すごい発想が出てきて、すごく世界が変わるかもしれない。

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2009.03.26

技術のおさらい

偶然というか、当然と言ってもいいのだが、コンピュータの歴史となると及ばないものの、「パソコンの歴史」となると、相当の部分を体験しているものだと実感することがある。
オペレーション・システム、BIOSの設定や周辺機器、ネットワークの変遷などを身をもって体験せざるを得ないままやってきて、それはそれで歴史になっているものだ。

ここのところLinuxを基本的な技術の観点から見直していて、たまたまアメリカのIBM社のトレーニング・コンテンツ・サイトにあった技術の変遷の歴史を読んでいたのだが、それなりに苦労してつなげていたりしていた機器やハードなどの知識や理解も、今となれば実地体験となっていたのがわかる。また逆に、若者はそれらを体験しないで、現在から始めるというのを考えると、レガシーとなりつつある知識というのはいったい何なのかということと、また同時に、これからの技術がどうなるかが頭のなかで交錯する。

情報テクノロジーは、この世界的な経済の停滞期にあっても展開し続けている分野であって、技術の変化が発想やアイデアの新たなきっかけになっている。これからの技術とそれから派生していくことを、じっくりと考えてみたいものだ。

ところで、たまたまNew York Timesで見つけた、理論物理学者のFreeman Dysonについての記事を読んだ。偉大な物理学者としての業績は別にして、最近の彼に対する評価は様々だが、85歳になる彼の発想はユニークでおもしろい。科学、環境問題や、様々な文化に関する彼の考えは、どのような見解に至るとしても、知っておくといいと思う。

この記事の最後は、Dyson夫妻の会話で結ばれている。これだけでは、彼の思考法を網羅できないばかりか、記事さえも肝要な部分を欠いているが、彼の言わんとするある面を表しているかもしれない:

“I’m still perfectly happy if you buy me a Prius!” Imme said.
“It’s toys for the rich,” her husband smiled, and then they were arguing about windmills.

Dysonが、石炭は、中国やインドが貧困を抜け出すのに欠かせないものだったと言っているのも、やはり傾聴すべきものだ。

技術と言えば、自動車技術では、ハイブリッド自動車、電気自動車が最大に注目されているが、この技術も、しばらく後にどのように見えるのだろうか。

技術というのは、その出現時は、目の前を完全に覆いつくすように巨大だが、時間が経つにつれて縮んだり、変形していくものだ。

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2009.03.21

阮籍の詠懐詩

夜中寐るに能ず
起き坐して鳴琴を弾ず
薄き帷に明月の鑑り
清風は我が襟を吹く
孤鴻は外野に号び
朔の鳥は北の林に鳴く
徘徊して将た何をか見る
憂慮して独り心を傷ましむ

阮籍

心のなかを穏やかにしているのは、難しいことだ。夜中に目が覚めて、そのまま眠るには落ち着かない時は、琴を弾いている。

もとから、この阮籍の詩を知っていたわけでなく、この様に夜中に琴を弾いていることがあって、たまたまこの詩を知った。ぼくの心持と阮籍の心持が、どれだけ重なるものかはわからないが、少なくともざわついた気持ちを胸に持つ夜は、琴を弾くということだけは、たとえ彼にはるかに及ばないにしても、営みとして重なったものだ。

阮籍については、知識があるわけではないのだが、自分にとっては、彼が作曲したという「酒狂」という琴曲を弾いて、そして竹林の七賢のあり方を少し知ることによって、わずかだが親しみを覚えた。

世情も荒れているのに加え、ここのところ芸術の先輩の方々があいついて亡くなられるということがあったことも、心を落ち着かせない原因かもしれない。

琴は、自分のために弾いているのがいい。琴の数千年の歴史には、そのように弾いていた人がたくさんいるのだろう。

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2009.03.16

Reset

コンピュータでもゲームでも、なにかのきっかけで「暴走」しはじめて、正常に機能しなくなることがある。コンピュータを機能させているのは、プログラムの塊で、BIOS、オペレーションシステム、さらにアプリケーション・プログラムが走っている。
現在使用しているコンピュータは、仕組みとしては複雑なようだが実は単純で、それでも不可知の部分は、それぞれのプログラムが異なるプログラマーたちによって組まれているので、バグとかオペレーション上のトラブルは、その人間的な条件の内側にある様な気がする。

昨年の終わりのある集まりで、講師が持ち出したサブジェクトの一つに「リセット」ということがあり、彼によるといまはまさにリセットのタイミングで、これまで続いてきてうまくいっていないことをリセットするべきだというような趣旨だった。 

このリセットということは、何かリアリティがあって、いろいろな分野でリセットが必要になっているように思える。もっとも社会は、コンピュータやゲームではないので、リセットはできないのだが、感覚的にはリセットできればという気がする。

例えば、日本では、政治や経済でも、どちらもこの何十年間続いた方法の限界に直面していて、ここでリセットしてかなり大胆な価値観の転換がない限り、先が見えない。

ぼくは、アメリカは、オバマ大統領の登場によって、かなりこのリセットに近い状況にあるのではないかと思う。中国は、本来可能性がある国だと思うが、ここでリセットできたらかなりすごいものになるのではないだろうか。日本はとにかくリセットするしかない。

さて、ここでリセットというのはそれぞれの地域、あるいは個人にとって、どういう意味となるのだろうか。

自分は、やはりリセット。リセットのタイミングなのだ。

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2009.03.09

芸術の区分

自分はもともと領域越境的な表現を行っているので、アート、デザイン、音楽・・・という境にもこだわらないし、これらは自分の幅広い表現範囲だと確信している。
また、このような確信を理論的に共振するかのように裏付けているのは、ロラン・バルト、スーザン・ソンタグ、マクルーハンのようないまやややクラシックな思想から、現在の国際的にも拡がった領域越境的なアカデミックな傾向にある。

しかしあらためて、何が芸術であるかと範囲、定義にこだわるというような考えというのも世間には存在して、伝統的な分野のみならず、意外と現代芸術の分野でも旧来の枠組みにこだわっていたりする。

例えば、写真を芸術として認めないという考えの人は、現在では少なくなっているが、それでも存在している。もともと写真の発達は、絵画との技術的にも文化的にもその相関関係が色濃く反映しているものだ。だいたいこの様な意見の人は、絵画の人に多いのだが、境を接するようなところで、新参の表現に嫌悪感を持ったのだろうと思う。また逆に写真を芸術として形成しようとした人たちは、絵画的であることに根拠を見つけたりもしていた。そのうちに写真が独自の表現を確立するとともに、偏狭な絵画コンプレックスのようなものから抜け出すようになる。

また日本の文化として、日本人が芸術と感じたり考えるもので、西洋的、あるいは国際的なスタンダードからは理解されないものもあるだろう。例えば、前のブログでも取り上げている茶道などは、その典型で、例えば新渡戸稲造が"Cha-no-yu is more than a ceremony - it is a fine art"と言っている部分は、抽象的にはわかるが、実際にお茶の点前を体験すると、それはいったいどのような表現であるのか、なにがファインアートなのかとわからなくなるものだ。あれは、亭主が「表現者」であり、客はその表現を体験する「観客」であるのだろうか?茶の湯をTea ceremonyと訳すと、むしろ儀式だ。あるいはパフォーマンス?

ぼくは個人的には、茶道は、亭主が表現者であり、自覚した客が茶事に参加するという表現形式なのではないかと思う。もともと現代芸術という分野にいて、ごく普通一般の観客ではなく、意識を持った観客のための表現を自分の表現分野に課しているから、すんなりと茶道のあり方と芸術性にはまっているような気がする(それでなければ、明治以降の婦女子のための礼儀作法教育という観点でしかほぼ有効にならない)。
ジョン・ケージが新しい耳を持った観客のための音楽を作り、ジャスパー・ジョンズが、観客は絵画の前で考えなければならないと言い放ったような、表現者と観客の特別な関係のなかに新しい表現が可能であり、そういう関係は、いつも変わらない。

西洋絵画は基本的にずっと壁にかけられたものだが、日本では「絵」というのは、掛け軸であったり、屏風や襖であったりして、四季の移り変わりなどのなかで、常に取り替えられたりしながら鑑賞されるものだ。また絵と書が同じ様な役割をもって鑑賞されるものであったりするのも、日本や東洋(あるいはイスラム圏)にしかない文化だ。
世界の地域を見渡せば、芸術を画一的に区分することなどは、そもそも考えるほうがおかしい。

ところで、ぼくは「アーティスト/デザイナー/ミュージシャン」という肩書きを、ケースバイケースでその順番を変えたり、またその一つだけを使うこともある。
アートとデザインというものも、あるところではその領域が曖昧になったりする。もともとは社会性などを含んだ意識としては別物だ。ただ視覚表現だから、お互いに影響を与え合っている関係でもあり、かなり重なっている部分も実際に存在してもいる。

アート情報サイトのWe Make Money Not Artの書評で、あるデジタル・デザインの本について批評があって、そこでもアートとデザインの領域の違いはどうなのかという指摘をしていた。例えば、その本で取り上げられているある作品は、ちょっと前にアートフェアに出ていたもので、もともとアートの作品だったのに、この本ではデザインの作品としてその本で紹介されているというようなことが書かれている。
この批評も理解できるが、とりわけデジタル技術を軸に考えると、アートとデザインの境はかなり少ない。おそらく共通の表現技術を使っているのが主たる原因だからではないだろうか。また表現の主体となる側でも、例えばprocessingの開発者は、自分の肩書きをartist/designerにしていたりする。

ぼくは自分もその路線なので、あえて言えば、artistだけでもdesignerだけでも、片方だけでは、集合論的にも充分に納得がいく表現分野が見えてこないから、両者を併記することにしている。

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2009.02.27

利休とsoul discipline

思想としての茶道への興味は、自分の場合は、文化としてのわび茶の登場、また本来の茶道の文脈からは外れるかもしれないが、岡倉天心が言うTeaismだ。

もうすぐ利休忌(本来は旧暦2月28日だが、茶杓 銘「泪」は今の時期に公開されている)だが、利休の生き様は、日本文化史のなかでも傑出している。利休の死をもって、あるいは彼の死をもってのみ、茶道の歴史が末永く伝承されていると思う。

乱世のなかで、類まれな思想と実行をもって活躍した人々というのは、いったいどのような考え方をしていたのかを考えると、利休は、文化の領域で思い浮かべる人物の一人だ。戦国時代の武将たちの活躍は、社会制度を含めて日本の近世を形作るものとなっていったのだが、一方で文化が、様々な形で勃興していたのも、この乱世であった。

Cha-no-yu is more than a ceremony - it is a fine art; it is a poetry, with articulate gestures for rhythms: it is a modus operandi of soul discipline.
Inazo Nitobe "Bushido, the Soul of Japan"

新渡戸稲造が著書「武士道」で利休あるいは茶について語っていることは、日本の精神の一つの高みを示している。利休の死によって、茶道の極みが残されたように思う。

江戸末期から明治時代というのは、危機を発展のバネに変えた時代であって、そこには傑出した人々が活躍した。戦国時代に匹敵するほどの激動期だ。

そして今も、やはり激動期だ。世界的な不況の時期を通じて、世の中は、いろいろなことが変わる。そういう時代だから、茶も生きてくる。そしてsoul disciplineも、求められる。

静けさのなかの激しい茶。

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2009.02.15

RESIST

抵抗とアートというと、社会派的な響きがあるのだが(それはそれでもかまわないが)RESISTは、ラジカルであっても、そういう言葉のニュアンスが変わってきていることを感じるのにいいサイトだ。

このサイトへのリンクは、よくチェックしているwe make money not artで見つけたもので、以前は、Critical Art Ensemble Defense Fundのサイトへのリンクが、いつもトップページの右上に小さくついているのだが、そこがRESIST!という文字に変わっていたことに気づいて、クリックしたことからだ。

RESISTのサイトには、social change ideas(社会変革アイデア)や、画廊の壁を超えたアート(Art beyond the gallery walls)とかいうページがある。

RESISTのための様々なアイデアは、多種多様で、映像、ストーリーテリング、海賊放送・・・などが並んでいる。
またアイデアのページには、デジタル・テクノロジーを使ったアイデアも多く、キーワードクラウドには、infoactivismや様々なテクニカルな言葉を見受ける。
またそれぞれの土地に固有な事柄をテーマにしたものなどもあり、移民問題など様々な問題もあったりする。

文化状況は、世界同時不況のなかで、アートの質も大転換しておもしろくなるのではないかなぁ。日本の首相の知的レベル程度にシンクロしているような文化は、絶滅へ。

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2009.02.04

芸術写真と「希薄」なデジタル

父親がカメラ会社に勤めていたので、三歳にならないくらいのころから、自分のまわりにカメラが転がっていた。積み木とか、すでにコレクションを誇っていた自動車のおもちゃを詰め込んでいた箱のなかには壊れた、しかし本物のカメラが入っていた。また父がカメラを首からさげるのを真似て、おもちゃのカメラをぶらさげていたりした。
またグラフィックデザイナーをやっていたころには、飛ぶ鳥を落とす勢いの一線のファッションや広告のカメラマンたちと仕事をしていたし、膨大なファッション写真を見た。

写真は、いつも近くにあり、写真で美術作品を作っているし、ミュージシャンのレコードやCDジャケットの写真を撮影したり、ドキュメンタリー映画の撮影の合間に正式な記録写真のカメラマンとして撮影したり、カメラ雑誌に写真作品が特集で掲載されたこともあった。しかし、写真が自分の主要な表現だとは考えたことはないが、それこそがぼくの個人写真史とも言える。

西村智弘さんの著書「日本芸術写真史」は、写真と芸術、とりわけ美術との関係、また複線としては、テクノロジー、メディア、科学との論考から、写真の歴史を見ていくのに、他に例を見ない体系だったもので、まさに力作だ。

80年代後半から90年代に、写真と現代美術が接近し、そのうちその境界が不明確なものになっていくころに、多くの写真芸術に関する書籍が出て、よく読んだ。しかし、それらは、写真からの視線で書かれていた。
「日本芸術写真史」がそれらと異なるのは、写真と美術が対照になって書かれているところだ。これは写真を専門とする人の多くにとっては、むしろ領域外のことの様に思うかもしれないが、日本に於ける写真の歴史を考えてみると、非常に重大な意味を持っていることが、本書からわかる。

冒頭に自分の個人写真史と書いたが、あらためて読み直すと、気づかずに自分が「写真」と位置づけているものは、光学式の写真技術だ。
いまはデジタル一眼レフカメラも持って使っているのに、あまり写真を撮っているという気がない。論理的には、写真表現として、デジタル一眼レフカメラを使っていると、操作性とかについてはデジタル写真についてそれほど大きな違和感とかは無いのだが、何故か実感としては希薄だ。

日本の芸術写真の歴史を検証してきて、さて次はどうなるかと思うと、あまり確固たることは言えないのだが、この「希薄さ」も、これからの写真表現の構成要素の様に思える。つまり写真を意識しないところにあるということだ。そしてその対極には、写真原理主義の如くに従来の写真表現こだわるものがある様にも思える。ここで「原理主義」という言葉を使うなら、前者は「写真世俗主義」とも言えるかもしれないが、写真の世俗的なあり方は、携帯写真、あるいはプリクラのように、テクノロジーが、これまでの写真の文脈では考えられないように、ごく当たり前で、すでに写真ではないようなものにしている。
つまり、写真ではないものも写真であったりする。写真は、この情況からはもがいても逃れられないだろう。逆に言うと希薄であるというのは好ましいものであると考えたほうがいいかもしれない。そもそも軽くて薄いものが劣って、重く厚いものが優れているとする物質的な観念がおかしいのだが、デジタルカメラから「重厚」な作品は作れない。デジタルカメラは「軽薄」なものなのだ。

音楽では、アナログのシンセサイザーが人気を取り戻し、デジタル・シンセサイザーが逆にアナログをモデリングするというようにもなっている。生の楽器の音をデジタル技術で追求するのは、演奏時の経済効率以外にそれほどは意味が無いのに気づき、むしろアコースティックな楽器を使う。
初期には不気味で異様だと思われていたアナログ電子技術の音は、幼少から電子音に囲まれている世代の人たちにとっては、自然に感情移入できるものとなっている。

デジタルの文化的にすごい部分は終わったと考える「ポスト・デジタル傾向」は、写真とその文化にも現れていると思う。これからの写真の芸術は、そのなかで見つかるだろう。

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2009.01.26

柔軟なこころとデザイン

Design and the Elastic Mindという展覧会が、昨年、ニューヨーク近代美術館で開催された。弾みのあるしなやかな心をデザインとして、どのように活かしていくかというのは、時節を得ているようにも思える。つまりデザインの解決力を活かすべき時だ。

この展覧会の内容は、ふだんチェックしているアート、デザイン系のサイトで紹介されているものが多いのだが、これらが「the Elastic Mind」とくくられているところが、とても新鮮な切り口だ。
展覧会のカタログも持っているが、内容はむしろ展覧会のWebサイトのほうがわかりやすい。

デザインは、仕事としてのデザインを想定しがちだが、デザインからは社会の本質的な構造が見えてくる。学問、研究の課題としてデザインを捉えることは、現在ももちろん行われているが、それ以上に大事な質を持つようになっていると思う。また同時にアカデミックなところで固定されない、ダイナミズムを持ったものでもある。

最近、自分の周りで、デザインとして解決していきたいものがたくさんある。デザイン力は、現在の困難な社会情況のなかでも、求められるものだ。
社会にダイナミズムが必要な時に、デザインが必要となる。産業資本主義の時代も、初期の社会主義の時代にも、デザインは重要な役割を持った。デザインは、社会の大きな変化のなかで、大きな役割を担ってきたし、また担うべきものでもある。
そういう意味では、現在はデザインの時代、あるいはデザインが求められている時代とも言えるだろう。

閉塞した時代には、それを突破するデザインがある。

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2009.01.17

叛乱と落書き

昨春、アフリカからの帰途でパリに立ち寄った。五月革命から40年経ったパリの本屋には、そのころのことを扱った書籍がもっとも目立つところにたくさん平積みになって置かれていた。パリの五月は忘れられず、そしてその意義があらためて確かめられているようだった。

1968年から69年にかけて、高校生の活躍がめざましかったパリの様に、日本の高校生も同様に意識が高まっていった。自分はそういう雰囲気の中で高校生だった。中学生のころはベトナム戦争をヒューマニズムの観点で気持ちとして反対していた。高校一年生のときに、戦争に反対するなら、その意思表示するべきだと思って、初めてデモに行った。15歳の秋には、まだ学生がやっていることは理解できなかった。だが16歳の春には、連帯し始めていた。一年の成長が、肉体と精神に於いて短期間で大きく変わる時期だった。

いまの大学や高校にあの時のような情況を探そうとしても無理だろう。でも、それが悪いとかだめだとかいう話ではない。今は誰もが幼稚で、暗愚な時代だ。(しかし、それも日本の話。つい最近でも、パリではやはり高校生が教育政策について大掛かりなデモをしていた。日本では考えられないことだが。)

ぼくは暗愚な時代というのは過去にもあり、しかし、しばらくすると賢明な時代がまた訪れるという循環があるように思う。ただ人の寿命なかでは、ほとんどの場合、両方を見ることなく、どちらかの時代のなかで過ごしてしまうものだ。

60年代の学生、そして青年労働者の活動は、とてもラジカルに賢明なものだった。なによりも情熱的で知的な活動だった。あの時代、様々な問題が噴出するなかで、若者たちは真摯にそれらに取り組んでいた。熱い空気に満ちていた。
ただとても残念なのは、学生運動は、その後、権力志向の小さな政治集団のつまらない党派間の争いによって、この時期に培われた豊かで本質的に重要なものを見失わせたことだ。
しかしそれでも、その時に蒔かれた種は、冬の時代を越えて、今でも生きていると確信している。

東大の安田講堂での闘いから40年。どうもこれが全共闘運動を象徴していまいがちだが、もっとも大事なのは全国津々浦々の大学や高校や中学校で様々な叛乱があったことだ。そこにはベトナム戦争に代表される政治、社会的な関心から、自由とか愛とか性というようなものへの気持ちが原動力になっていた。それは単なる制度改革などではなく、文化的な叛乱でもあった。(もちろん文化に一面化するのはおかしいが、歴史の中では、あらゆるものが最終的には「文化」となる。)

パリの本屋には、五月革命のころの落書きがたくさん掲載されている本があった。当時は、パリでも、東京でも、北京でも、たくさんの落書きがあったと思う。学生、生徒、そして中国では紅衛兵たちが落書きしていた。落書きには、かなりたくさんの真実があった。つまり、ある意味で「世界同時落書き革命」でもあったのだ。

「連帯を求めて孤立を恐れず、
力及ばずして倒れることを辞さないが、
力尽くさずして挫けることを拒否する」

安田講堂にあった落書き

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«「人類」という概念