ラジカルネーチャー
物質観にも、歴史性があるのは当然だが、映像が登場してから、大きく物質観が変わったのではないかと考えられる。ただ、これは、心理的なものに結びついていて、客観化しにくいものかもしれない。
夢は、テレビが白黒テレビであった時、モノクロであると言われていた。たしかに、ぼくもモノクロ・テレビの時には、モノクロの夢を見ていたように思う。ぼくは、このことがやや気になっていたのだが、今は、モノクロで夢を見ることは無い。モノクロのテレビのイメージを知っている人というのは、少数になってしまったので、検証しきれないかもしれない。
どうもわりと多くの人は、モノクロの夢を見ていたのだが、テレビがカラー化してからは、カラーで夢を見る人が半数を越えるともいう。またカラーの夢を見るのは、特殊だというような話もある。夢はもともとモノクロで、思い出すときに色がつくという考えもあるという。これらは自分の経験以外では、他人に聞くしかなく、どれだけ一般性があるのかを検証するのは難しいただ徐々にモノクロの夢を見る人は少なくなるのだろうか?
こういう人工環境が、人間が本来あるはずのものを変えていくということがどれだけあるのだろうか?上の話では、モノクロテレビが無い、あるいは電気などが無い時代の夢はどうであったのだろうか?
これまで様々な技術の出現によって、人間はものの考え方のみならず、肉体機能も変えてきた。だが、それがどのように変わってきたかは、あまり考えられていないかもしれない。
ここのところ新しい建築の形状が変わってきて、それがCG、デジタル映像の影響であるのは明白なことであり、それらの設計にコンピュータは欠かせないのだが、単に技術のみならず、思想とか物質観もコンピュータなどの技術の影響を受けていると思う。こういう感覚は、だんだんと普通の人々の感覚にも浸透していっている。
最近、アーキグラムやアントファームなどの建築やアートの資料を集めて見ていた。イギリスでは、バクミンスター・フラーやスミッソンなどの60年代のアートから現代のものまでにフォーカスを当てて、環境との関わりを考えていくRadical Nature–Art and Architecture for a Changing Planet 1969–2009 という展覧会、シンポジウムが開催されているという。この展覧会で紹介されていて、これまでもイメージとしては知っていたが、詳細を知らなかったAgnes Denesの、ニューヨークのバッテリーパークで実際に畑を耕した作品などは、あらためて興味深いものだ。またここからRestoration Ecologyという考えにもつながっていく。
環境とデザインあるいはアートというのは、自分の関わる重要な領域の一つだが、人工と自然という関係で、もっと考える必要があるように思う。自然と反自然の間の多様性をもっと考えなければ。
