2012.01.29

十二支と熱帯

太古から、日本というのは、孤立した島国ではなく、盛んにアジアの諸国と交易してきたし、人も南北と大陸から文化や技術をもって交流してきた。
そのように強く思うことで、日本のあり方を位置づけるべきだ。

北緯50°〜南緯35°の範囲にある世界各地域で稲作は行われ、現在では、米生産の約90%をアジアが占めるという。たしかに米はアジア的かもしれない。だが、思ったよりも米は世界中で食べられていて、アフリカのマリに行った時も、主食は米が多かった。(マリには「薩摩揚げ」そっくりのものもあった。)

古代日本への文化の流入経路は、大陸、北、南などで、南方アジアからの文化の影響も思っているよりも大きい。海流の流れにのってこの島国に文化は伝わってきた。

十二支のある地域というのは、日本列島から朝鮮半島、中国を通ってインドシナの国々だが、中国文化の影響のあるところを含めるとさらに広がっているかもしれない。十二支は、各国で大同小異があるが、今年の干支の「辰」というのはどこも共通してある。龍は想像上の生物だが、それに想いや願いをはせらせる気持ちも共通しているのではないだろうか。
たぶんアジアの多くの国々で、今年は辰年だと思う。そして多くの人が大きな飛躍を望んでいる。

アジアの文化の流れというのは、気の流れのように、流れ続けている。しかし、気の流れを感じるのに修練が必要なように、アジアの文化の流れを感じるにも修練が必要だ。
日本人は、たまたま明治で脱亜入欧してからの百年以上、アジアの文化の流れから遠ざかった時代に生きていただけかもしれないし、単なる芸能界の話のように見えたとしても、韓国をはじめとしてアジアの国々との交流は盛んになってきている。アジアはこれからもっと緊密になるだろう。

明日からカンボジアへ。寒い日本から、熱帯のアジアへ!

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2012.01.18

サステナブルな質問

サステナビリティあるいはサステナブルであることについての質問を受けた。

サステナブルということに関心を持つようになったのはいつかというのが最初の質問だった。これははっきりしていて、1992年のブラジル・サミットのときで、それまでエコロジーや環境保護という立場から関わっていた環境問題に、あえてこの会議World Summit on Sustainable Developmentで「持続的発展」という概念が与えられたからだ。

この「持続可能」Sustainableという概念は、とても巧妙に考えられたものだ。80年代末あたりから国際的に環境問題に取り組む合意が求められるようになって、この言葉が生まれた。この持続可能ということに、異議を唱える人はほとんどいない。持続可能という言葉は、なにか生物的でもあるし、また現状の経済利益の維持はそのままというようにもとれるし、誰もが折り合いがつけやすいものだ。

この言葉は合意をとりつけやすいが、その後の展開は、逆に不明瞭になったかもしれない。ぼくは不明瞭になったと言い切ってもいいと思う。

ぼくはやはりエコロジカルな観点と照らし合わすことを原則として考えないとならないと思う。とりわけデザインということでは、いかにエコロジカルな要素を考慮するかということが原点だ。

ただエコロジー、つまり生態学という観点だけでは、われわれの文明や文化を語るには不十分だとも思う。エコロジカルな線上で、文明、文化を包括するような概念が求められているのではないだろうか。

その概念がうまく機能するようになったら、「サステナブル」という過渡期の概念はいらなくなるかもしれない。

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2012.01.10

東海茫茫望轉迷

距離と時間は相関関係にあり、かつてはどこそこは歩いて何日のところにある所と語られたように、距離を示すのに時間が用いられた。

新年は、東の海を一飛びで、日本と中国大陸を往復する。東京と上海の飛行時間はわずか2〜3時間。
江戸初期に、杭州から日本に渡った東皐心越禅師のころは、この距離は、いったいどれだけの日数がかかったのだろう。

われわれは、新しい技術が登場するたびに、時間と距離の概念をあらためる。それは概念というよりも、むしろ心理的なものなのかもしれない。かつての心越禅師の命がけの大旅行の距離は、いまではゆっくりと座って数時間を過ごすだけだ。

遠い故郷に残した親を思う詩。禅の高僧であっても、それは変わらない。

白雲不共海東齊,東海茫茫望轉迷
終日思親人不知,一日思親十二時

思親引
東皐心越

おそらく親を思うことは禅僧にとっても「俗」ではないのだろう。しかし、東皐心越禅師がこころに浮かべた親のイメージを結ぶ空間の距離は、ジェット機で杭州を訪れたぼくが体験した距離とは比較にならないほど遠いだろう。

東海は、いまも過去も同じ様に存在しているのだが、東海のイメージはまったくちがうものだ。10年ほどの間でも、距離のイメージは大きく変わる。中国で時速300キロ以上の高速鉄道に乗り、400キロ以上の速度を出すリニアモーターカーを見た。上海と杭州の間は、高速鉄道でわずか45分ほどだった。

ぼくの意識は、古代に向かって探索しようとしている。時間と距離のイメージは、そのうちあまりにも変わってしまうだろう。
以前ブルックリンに住んでいたぼくにとって、ウディ・アレンの「ブルックリンとマンハッタンの距離は月よりも遠い」の言葉は、ニューヨークの移民の歴史を調べていたので理解できた。しかしこの距離感もいまでは共感できる人は少なくなっているのではないかと思う。
ぼくたちは、距離感を常に再確認しながら生きなければならない文化の時代にいる。

新年は、東の海の上空を飛び越えることで始まった。
いまは位置情報とテクノロジカルなアートについての論文を書いている。

時空間のイメージを刷新し、次を構想していこう。

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2011.12.30

self sufficiencyとフロー

四季が変わり、また春が来ると、新たな生命が芽吹く。そういう自然の循環のなかにわれわれは生きている。
そういうことが、とてもありがたく感じる。地震と津波があり、また放射能汚染という状況のなかにあるから、ことさらありがたく感じるのだと思う。

2011年は忘れない年だ。忘れられない、あるいは、忘れさられない年だ。その年も暮れようとしている。
この年を忘却の彼方に置くことができない。東北の被災地の復興にはまだ時間がかかるだろうし、物理的にもとに戻っても、こころのある部分は戻らない。

どのように様々な困難に対処すれば良いのだろうか。

ぼく個人としてはそのきっかけを、self sufficiency(自給自足)を原点としたフローの創出ということから考えることにしたいと思う。それは食物やエネルギーの自足というだけでなく、オープンソースのアプリケーションやシステムの構築や開発ということもあるし、現在から未来までを見渡した自給自足の流れというものだ。また自給自足というと孤立した社会での自給自足を考えがちだが、孤立するのではなく、そういう共同体の連合によって形成されることで生まれるフローのイメージだ。

また哲学とか思想のように結実する意識も必要だろう。ウンベルト・エーコの「ある国が、世界的規模で物事を考えられる意識を生むためには、歴史的な大事件を経験しなければならない」という言葉は、われわれが受け止めるべき言葉のように思う。

時間の矢は止まらないし、世界は変化し続けている。正解は見つけにくく、解を求め続けるだけだ。とりあえず前へ進もう。

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2011.12.20

あまりあたらない未来予想について

未来予想いうのは、現在の状況に照らし合わせたものから、ほぼ抜け出ていないものなのだが、ついつい本気で受け取ってしまう。だが、その予想が実現する確率は、もしかすると星占い程度(この程度をどう解釈するか)かもしれないように思うが、どうだろう?

子供のころに、「交通の図鑑」というのがあって、そこに描かれている近未来の東京のイメージは、東京湾にかかるベイブリッジあたりから見る光景にそっくりで、交通などに絞ると、未来予想は当たりやすいのかもしれない。

アルビン・トフラーの「第三の波」は、最近調べたてみたら、公立の図書館でも保存庫に入っていたり、いまや誰も見ない、過去に忘れられたベストセラーだ。工業社会が終わって、情報社会が訪れるといったトフラーの1980年の「予想」は、ほぼ筋書きどおりに実現されてしまって、誰もがいまやその現実のなかにいるので、有り難みが無いのかもしれない。
しかしこのblogでも以前書いたと思うが、彼の予想の興味深いところは、むしろ終わりの章に書かれている、第三の波を迎えた社会の不安でネガティブな事柄だ。

もともと技術に基づいた予測というのは、いつも明るい未来を約束する。すばらしい形容がされて、多くの人がその話にもとづいて夢を描いてしまう。
原子力の実用化も、われわれは「太陽を手に入れた」というすばらしい言葉で語られたので、実用化されはじめた時期を体験した人たちは、この技術への思い入れが大きい。(例えば、この時代を象徴するマンガの「鉄腕アトム」は、まさに原子力の子であり、その明るさも、また終焉さえも、太陽と関わっている)

ぼくはいまある大方の予想もかなり外れていくと思うし、時折、僕自身も言っている予想めいたことも外れると思うのだが、それでも予想というのは気になるものだ。

しかし、世界の様相は、めまぐるしく変化し、その変化を過去をモデルに読み取るというのは、まったく難しい。あるいはほぼ無駄なことだとさえ思う。

ただぼくは予想する、あるいは予測することと、イメージするというのは、微妙に違うもののように思う。前者は、過去のデータをもとにしたものであり、後者は、ほぼ無の状態のなかで、むしろ何かしらの必然性があって現れ出るものだ。

イメージすること、それは、ふつうの想念を超えたものの様に思うし、イメージの力というのは、尋常ではない方法で出てくるものではないだろうか?

これからをイメージできるだろうか?

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2011.12.10

鴎鷺忘機

古琴の名曲「鴎鷺忘機」は、「列子」のなかの物語の一つを題材にしている。海鳥たちととても仲の良い日々を送っている漁師がいた。彼が海に出るといつもたくさんの海鳥たちが集まり、ともににぎやかに唄っていた。ある日のこと、漁師の父親が「おまえはいつても海鳥たちと楽しくやっているそうだが、あした海に行ったら、何羽かわしのためにつかまえて来てくれないか」と言った。翌日、漁師が海に出ると、海鳥たちは彼のこころを見透かすかのように、遠くにいて、もう二度と彼の周りには近づかなかった。

この演奏は、名演奏家である溥雪齋が1956年に録音したものであるという。彼は日本軍国主義がつくった満州国皇帝溥儀 のいとこにあたる。この録音から10年の後、文化大革命によって糾弾されていた彼はある日姿を消して、その後誰も彼の姿を見ることはなかったという。おそらく彼は自殺したのではないかと考えられている。
1966年には、文化大革命の一連の争乱によって、小説家の老舎が同じく自殺に追い込まれた。文化大革命は、貴重な才能を奪った。実際には、数知れない貴重な才能や文物が失われただろう。

ところで鴎鷺忘機の説話は、自然に対して人間が自分たちの欲をもって接すると、自然は遠ざかっていくことを示している。自然とともにあるためには、自らが自然と一体とならなければならないということだ。
人間の文明は、自然を中心に考えていかなければ、先はない。

最近、とくに思うのは、東洋は東洋らしさを失っているということだ。東洋は東洋らしいのがいい。東洋のものの考え方は、いまの世界に必要なのだが、その東洋の国々がすでに東洋らしくない。その非東洋の最初のモデルが日本だが、東洋の思想の中心であった中国も、すでに東洋ではない。もしかするともっとも東洋らしいのはカリフォルニアあたりかもしれない。いつのまにか海を渡っていたのだ。

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2011.12.01

絶滅するもの

ある国が、世界的規模で物事を考えられる意識を生むためには、歴史的な大事件を経験しなければならない
ウンベルト・エーコ
「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」
N'espérez pas vous débarrasser des livres

このウンベルト・エーコとジャン=クロード・カリエールの対談を本にまとめたものは、単に書物の行く末を案じたものではなく、広く人類の知識を問うものだ。

原題「N'espérez pas vous débarrasser des livres」は、「書物がなくなったりするとは思うな」というような意味だと思う。ちなみにこの本の英訳のタイトルは、「This is Not the End of the Book」
だ。邦訳のタイトルは、エーコたちが書物について強気で語っている内容に反して、やや弱気(?)な印象を与えているのではないかと思う。

エーコが書物が終わらない理由として、書物はすでにもとより進化しきったものであり、車輪という技術と同様なものだからだとしている。
これはなるほどわかりやすい例えだ。車輪が無くならないように、書物もなくならない。

ところで、この対談のなかでエーコたちが語っている事柄から啓示を受けるものが多いのだが、冒頭に引用した言葉は、ことさらにはっとさせられるものだ。これは直接には、書物のことではなく、むしろ文化そのものについて言えることだ。

われわれ日本に住むもの(日本人ではなく日本に住む人たち)は、「歴史的な大事件」を今年、体験している。エーコの言うことからすれば、われわれは「世界的規模で物事を考えられる意識」を生み出すべき状況のなかにいる。
だがこのことに反して、日本は学ばないという指摘も多い。

このような批判は、国の内外を問わずにあるのだが、それがまともな形で状況を打開することに結びついていかない。

エーコたちの書物についての対談に関してはまた別の機会とすることとして、現在の日本はかなりやばい。
世界的規模で考えることができないと、それこそ絶滅するようなところに来ていると思う。


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2011.11.20

身体と精神のポストデジタル

身体と精神の二元論というのは、年齢を重ねるにつれてますます明確になってくるものかもしれない。気持ちはあっても、思ったようには身体は動かなくなってきて、そのリアリティを感じるものだ。

東洋では、そのリアリティに逆らって、身体を鍛錬し調整して目指すのは、仙人の道、つまり不老不死だ。古来より成功した例は伝説以外にないが、それでもこのタオの道にひかれる人は絶えないだろう。
一方、医学の飛躍的な進歩に期待して不老不死を目指すしているのは、2045年あたりは人間が不死に向かうsingularityとなると言うレイ・カーツワイルだ。

ポストデジタルpostdigitalというのは、むしろデジタル文化の最先端であって、かねてよりデジタルな文化のただ中にいた人々が、ポストデジタルについて話しあっている。(この文章を書いている現在、twitterで「ポストデジタル」で検索してもぼくのつぶやきだけだが、postdigitalで検索すると多数のつぶやきが出てくる。)
電子音楽のミュージシャンのキム・カスコーンが、 The digital revolution is over. — Nicholas Negroponte (1998)(「デジタル革命は終わった」)ニコラス・ネグロポンティ)という元MITメディアラボのディレクターのネグロポンティの言葉を論文"The Aesthetics of Failure: "Post-Digital" Tendencies in Contemporary Computer Music"で引用したころから、具体的に「ポストデジタル」傾向について論議されだした。その引用の出自は不明だが、すでに1998年の時点でデジタル革命は終わっていると宣言されたことになる。

このポストデジタルの定義は、さらに議論されるべきものだろうが、ぼく自身も、技術の進展はさらに続くが、デジタル革命のもっとも中心となるピークは終わった様に思う。それは蒸気機関の革命期の長さと同じように、一つの技術革命がインパクトを持つ時期は短く、その後は一般的な技術として普及していくプロセスと同様だ。

ところでSingularityという言葉は日本語では「特異点」と訳されている。

「特異点(とくいてん、singularity)は、ある基準 (regulation) の下、その基準が適用できない (singular な) 点である。」Wikipedia

前出のカーツワイルの話の結論がどうであるかは別にして、ポストデジタルの時代は、まさに特異点だらけになっていくように思う。
その最たるものは、もしかすると身体と精神というようなものかもしれない。古来よりさまざまに解釈され、デカルトで近代的な概念が与えられたようなものが、さらにまた新しい定義に至るような気がする。そしてそれはデジタル技術によってDNAの全解析が終了した身体よりも、つかみどころのない精神の方に重点が置かれていくように思える。

ぼくは、人間は、もっとスピリチュアルになっていくように思う。あるいはスピリチュアルなものをもっと受け入れながら、進化するのではないだろうか。

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2011.11.09

時間と芸術II

クリスチャン・マークレイの「The Clock」が横浜トリエンナーレで上映された。これはサイレント映画から現在までの前世紀の世界中の映画を収集したもので構成されたアプロプリエーション・アート作品だ。アプロプリエーションを用いるマークレイらしい手法だが、この作品は、彼のいつもの作品以上にインパクトがあった。

観客は、見おぼえがある劇映画の数分のシーンの断片がつらなっている映像を見る。各シーンのつながりには根拠がなく話の「スジ」もわけがわからないままだが、カットのテンポの良さにつられてついつい見てしまう。これは前後の意味がわからなくとも、短い映像が連続してつらなっていると、映像にひきこまれるという心理的な要因によるものだ。
しかし、各シーンにやたらと時計が登場するのに気づく。もっとも多いのは腕時計だが、シーンの遠景に時計台がうつっている場合もあるし、部屋の置時計がクローズアップされたりしている。しかもそれらの時計が示している時間が、映画のそれぞれのカットには連続性もスジも無いにも関わらず、時間が継続しているのに気づく。
そしてさらに、その映像のなかの時計が示す時間が、現在の自分の実時間、例えば携行している腕時計や携帯電話でわかるその瞬間の時間と同じであることに気がつく。

映画のなかの時間と、実際のその場の自分が知る時間、つまりリアルな時間が同じであるということに驚き、マークレイの作品のなかにさらに何か仕掛けがあるのではないかと思ってひきこまれていく。

この作品を見ていると、映画というのは、時間に支配されているのがよくわかる。それは単に時計が画面に登場するからというわけでなく、例え時計が登場しなくても、映画の時間のなかに観客はとりこまれているものだ。小津安二郎監督の長回しのシーンなども、きわめて時間的な様に思えて来る。サスペンスものなどになると、この傾向は一段と著しくなる。
マークレイのこの作品はそれを気づかせてくれたと言っていい。

芸術はかなり時間を意識したものであるのは確かだ。季節の移り変わりは、古来より、とりわけ芸術的なインスピレーションを与える。その時間感覚は、歴史を経て、ますます短くなっているように思える。
われわれは、一瞬を、あるいは刹那を味わうようになってきているのではないだろうか。それも進化の証左であるのかもしれない。

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2011.10.29

時間と芸術

つい先日、ひさしぶりに長年の友人のビル・ヴィオラ、キラ・ペロフ夫妻と昼食をともにした。ビルに初めて会ったのはほんとうに前で1978年頃だと思う。それもかなり偶然で、たまたまアメリカ人の友人が、ビデオアーティストが東京に来ているから会わないかというので出かけていった。その日は、なにか天命が密かに下ったかのような特別な日で、霧のアート作品で知られ、ビデオアーティストでもある中谷芙二子さんともそこで出会った。それまで概念的なインスタレーションの作品と作っていたぼくがビデオアートに出会った日とも言えるし、その後のテクノロジカルなアートの出発点とも言えるかもしれない。

ビルの作品というのは、ビデオという技術の時間性を極限まで利用したような作品で、とても新鮮だった。それまでのビデオアートの作品は、実験映画から移行してきた流れや、テレビやコミュニケーションの観点、あるいはサウンドのテープ録音から視覚のテープ録画というような流れが目立っていた。そこにビルが、時間操作的な方法と、絵画的な静謐な画面づくりで入ってきたという印象だった。

時間と表現の関係とは独特な関係で、映像芸術が出ることによって、それが際立つようになった。演劇のタデウシュ・カントールが、悲しいシーンも早送りすると滑稽になるというようなことを言っていたが、それは映像技術が出て初めてわかったことだと思う。そしてビデオは、映画以上に、この時間の操作性に長けているものだ。

もっともビデオの時間操作と言っても、これはプロの放送レベルの映像技術の話であって、タイムコードを入れて編集する当時の1インチのビデオテープでのみ可能だった。巷のビデオアーティストは、カッティングでつないでいく編集機が使えればいい方だった。
ビルたちは、ニューヨークの公共テレビ放送局のチャンネル13のスタジオを、放送が無い時間帯に設備を使えるアーティストのためのプログラムがあって、この時間操作の技術をたっぷりと使える環境にあった。アメリカのビデオアートが先進的だったのは、こういうプログラムがあったからであり、ビデオ技術に対する観念自体が、すでに違った出発点にあったように思う。

ビデオアートを考える一つの要素に「時間芸術」というものがあった。これはいまから考えるととてもビデオ的であり、しかもアナログビデオ的な発想といってもいいかもしれない。テープの逆回転は、フィルム以上に時間を意識させたものだ。この感覚は、現在のデジタル映像編集ではあまりうまくいかない。再生ヘッドをこする感覚は、映像だけでなく、音声の編集でも多用されていた。
この感覚というのは、われわれのモノとのつきあいのうえで、とてもナチュラルなものであり、時間を言わば物質的に扱えるという様なものとして、それまでには存在しなかった歴史的な感覚だと思う。

時間を自由に扱えたらという感覚的な欲求はつきない。時間の矢をもとの位置にまで戻したいのだ。


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2011.10.19

動物と機械の制御と通信

新しい版が6月に出たノーバート・ウィナーの「サイバネティクスー動物と機械の制御と通信」を再読する。50年以上経ったこの本は、もともと英語で読んだことがあるが、ただ歴史的な文書として目を通したぐらいだったのだが、いまあらためて読んでみるといろいろなことに気がつき、しかも新鮮だ。

アメリカの論文誌に、これからのアートのあり方を認知科学的な見地から構想するというような論文募集の課題があって、そのためというわけではないが、あらためて様々な事柄を検証しようと思っていたので、ウィナーの本もその思考の流れのなかで再会したものである。
もちろん当時には「認知科学」というものは無い。ウィナーの観点は、積分的な数式で生命現象を読み解いていくというものだから、ぼくにはむしろ実験生理学のようなものを数式で記述するようなもののように思える。つまり、エチエンヌ=ジュール・マレーやそれに先行する実験機械を多用した生理学的な探究を、生理学者の様な観察によってではなく、数式で解明していくというものだ。

最近あまり見かけないが、「マン・マシン・インタフェース」という言葉は、人間と機械の関係を結ぶインタフェースをことさらに強調した言葉だ。昨今では「インタフェース」という言葉は、頻出するが、「マン・マシン」の部分はあまり使われない。このことをどのように考えるかは、さまざまだろうが、おそらく一般的に、人間と機械の関係は、ことさらに言わずとも密接なものになっているからだ。それも、自己完結している単なる機械ではなく、人間の知的な活動に関与あるいは補助する機械との関係は、普遍化している。

ウィナーの本は、その副題「動物と機械の制御と通信」が示すように、生物的なものと機械的なものとが同様な原理で理解できることを主張したもので、それが「サイバネティクス」の概念なのだ。

この本を再読してみると、あらためて新鮮なのだが、それは何なのだろう?ぼくは、それは人間の側の機械の理解の仕方が変わった、あるいは新しい段階に入っているからではないかと思う。

それまであまり関心がなかった他人のことが、より親密になることによって気になり、やがて理解できるようになるという時の感情の流れと似ているのかもしれない。

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2011.10.08

ガレージ

パソコン、パーソナルコンピュータ。これはいまやごくふつうの言葉だが、パーソナルユース、個人使用のコンピュータが世に登場したのは、当時としては大激変だった。

ただし、コンピュータは、ごく一部の人たちしか使っていなかったから、今から見れば、コップのなかの嵐のようなものだった。

パソコンはガレージから生まれた。アメリカの家のガレージは、日本では想像できないくらいに(あるいは想像するなら、日本の都市部の家なら一軒そのまま入ってしまうと言っていいほど)大きなものだが、そこはクリエイティビティの揺りかごみたいな場所だ。そこには自動車が入っているだけでなく、様々な道具が入っていたり、楽器やアンプ類があったり、とにかく家のなかではできない作業ができる多目的スペースだ。様々な工作や、バンドの練習もそこで行われる。

さまざまなパーソナルコンピュータがガレージで生まれた。多くのものは消えていった。そのなかで正統なガレージ生まれの血統を持って唯一残ったのは、アップル。

ぼくが最初に触れたパーソナルコンピュータはアップルだった。よく行っていた音響、音楽のスタジオにApple IIがあって、当時は日本語の解説書もなかったので、英語の解説書を読んで理解するように頼まれた。解説書通りに立ち上げてしばらく使って、そしてシャットダウンしようと思った時、コンピュータが、ほんとうに終わるのか?と念を押したのに驚いた。単純な仕掛けだが、それまで自分が使ってきた電気製品などは、自分がスイッチを切ればそれで終わりになるのに、この機械はそんなことを尋ねるのかと思った。
アップルのコンピュータのパンフレットには、このコンピュータは「未来への自転車」という様なことが書かれていた。そうか、これでゆっくりこぎながら、未来に向かうのだと思った。それからもう30年以上経った未来にいる。



Apple社のスティーブ・ジョブスが死んだ。とても残念だが、ガレージから生まれたパソコンの時代は終わったな。

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2011.09.27

「世界の終わり」について

西欧が「世紀末」を感じたのは、19世紀の終わり。そのころの日本と言えば、明治維新が起こり、やっと近代化が進み始めたところだ。当時の日本にとって、世紀末などは、西欧でのことで絵空事のようなものだっただろう。

20世紀末は、ミレニアム(つまりキリスト生誕から1000年)であったこともあって、その基準が異なったかもしれないし、むしろ21世紀への期待感が高かったかもしれない。
また20世紀から21世紀への転換点において、19世紀と異なるのは、世界はすでに西欧に中心があった時代ではなくなっているのが明白になりつつあったことだ。その意味では、19世紀はヨーロッパにとってまさに終わりの始まりに位置していただろう。

20世紀を通して、世界のなかで、それまで近代国家が成立していなかった地域もほとんどが、国家を形成した。第二次大戦の後、つまり20世紀後半というのは、まさに新しい国家の出現ということで、世界の様相は大きく様変わりしている。それは地域によっては、植民地時代の旧弊や、欧州の遅れた地域から始まった「社会主義革命」のために歪んだ形になり、そのことがその後も尾を引いたが、それでも世界は新しく変わった。

こういう歴史観と実際の世界情勢をあわせて見ていくと、現在の世界経済の危機はどのような形になるのかは、20世紀的な経済の判断では測りきれないのではない。
現象としてはっきりしているのは、先進国、とりわけ欧米の主要通貨に対する不安は、まさに世界史的な水準に来ているだろう。

現在それから今後の状況を読み切れないでいるが、世界的な危機は、むしろ大きな転換となって、今後は、当面の危機をしのいだ後は、現在の「非先進国」の経済の役割がより大きな位置を占めてくるようになると思う。そういう転換点を迎えている。

したがって、経済危機での世界の終わりはない。むしろ世界の危機は、実はもっと潜在するものであって、環境、エネルギー、戦争のような政治紛争などにある。

やはり新しい認識、新しい考え、新しい方法を生み出すことだ。少なくとも、いま言えるのは、国家が主役ではない。

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2011.09.20

FUKUSHIMA

先日、福島の会津若松で、被災三県での社会起業についての会議があったので訪れた。

「福島」というのは、福島第一原子力発電所の事故により、世界的に知られている。スリーマイル、チェルノブイリ、フクシマという三つの地点は、エネルギーの将来や、技術の安全などを考えていく上で、人々の思考の流れを時間軸でつないでいる。
原子力の事故はこれを最後にしてほしいものだ。核の事故というのは、安全が確認されうまでの期間が長く、しかも致命的に危険だ。
福島の場合、被災三県のなかでも、この原発の問題があって、さらに困難な状況にある。

実際の福島の現地の問題は、報道されていることからはやはり距離があって、それは距離の隔たりとともに複雑さも同時にある。
放射能汚染地域から避難している方々が、会津若松にはたくさんいる。その方々の実情を知ると、問題は複雑で困難なものだと思う。
それは、単に社会問題というよりも、多くが個人的なものにも根ざしていて、それらが様々に組合わさって複雑な全体の状況を作っているものだ。個々人の心の問題は、そこに普遍的な課題を抱えつつも、それでも個人の感情の内にあるので、簡単に解決できるものではない。

避難指定地域以外の福島でも、かなりの放射線量が計測されている。事故の後に放射能の漏れが止まったチェルノブイリ、スリーマイルとは違って、福島第一原発の場合、いまだに放射能が出ているところにも問題点がある。これはもちろん福島以外の東日本、さらに全国的にも問題だが。

福島での農業、水産業、酪農などはかなり厳しい。自然がこんなにも汚染されたことは過去にないだろうし、状況はまったく未知の事態にあると思う。しかし、それでも解決していく方法はあるように思える。

福島が抱える問題は、きわめて世界的な問題であり、未来にも関わったもので、Fukushimaでわれわれがどのように行動するかを世界が見ているだろう。また世界でこの問題を共有できる仲間を見つけていくということも大事だ。

ぼくは、いまはほんとうに微力なことでしか関われないが、いつかもっと素晴らしい知恵と方法を持ちたいものだ。

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2011.09.05

ハッカーになるとは?

技術状況の変化はとても早く、予想はつきにくい。コンピュータのオペレーティングシステムなどもどう変化するか、あるいは「パーソナル・コンピュータ」というもの自体も変わっていきそうだ。

Eric S. Raymondの「ハッカーになろう」 (How To Become A Hacker)をあらためて読んだ。
いまとなってはなつかしいUNIXハッカーのノリというか、うかれたようなネット創成期の雰囲気を伝えるので、なにかいまのノリではないような気がする。
でも、それはこちらが視聴覚的なプログラミングを中心とした分野にいるからで、コンピュータ技術の主流の流れはそれほど変わっていないのかもしれないが、この文章の独特さがどれだけ実体を反映しているのかわからない。
レイモンドの文を読んだきっかけは、Pythonの広がりが自分が思っている以上に拡大しているのに気がついて調べていたら、たまたまリンクがあったからだ。そう言えば、彼はここでPythonを勧めていたのを思い出していた。(ちなみにぼくがPythonに出会ったのは、98年ごろで、CMUでコンピュータエンジニアリングの学生たちがさわっていたAliceというVRアプリの基本的なプログラミング開発言語としてこれが使われていたからだ。)

久々に読んだレイモンドのこの文章は、いまでもそれなりに「新鮮」なところがあるものだとも思った。コンピュータ技術の変化が激しくても、変わらないものを、技術とその思想の普遍性を考えるところに、我々はさしかかっていると思っているなかでこの文章を再読した。

ぼくは最近、普遍的なものというのは、態度とか構えにあるような気がしている。彼があげる「ハッカースタイルの要点」は以下のようなものだ。

●SF を読むこと。SF 大会に参加すること(ハッカーやハッカーの卵たちに出会ういい方法です)。

●禅や武道を学ぶこと(その精神面は深いところでハッカー精神と共通しています。)

●音楽を分析的に聞く耳を鍛えること。一風変わった音楽がわかるようになること。なにか楽器を上手に演奏したり、歌が歌えるようになること。

●だじゃれや言葉あそびへの理解を深めること。

●母語できちんと文が書けるようになること(わたしが知っている最高の連中を含め、ハッカーの驚くほど多くは物書きとしても有能です)。

この文章には、ずっと改訂があって最新版はRevision 1.43(07 Feb 2011)となっている。上記のものとは項目の順番が違うし、同じ内容がさらに細分化されていたりしている。

Learn to write your native language well. Though it's a common stereotype that programmers can't write, a surprising number of hackers (including all the most accomplished ones I know of) are very able writers.

Read science fiction. Go to science fiction conventions (a good way to meet hackers and proto-hackers).

Train in a martial-arts form. The kind of mental discipline required for martial arts seems to be similar in important ways to what hackers do. The most popular forms among hackers are definitely Asian empty-hand arts such as Tae Kwon Do, various forms of Karate, Kung Fu, Aikido, or Ju Jitsu. Western fencing and Asian sword arts also have visible followings. In places where it's legal, pistol shooting has been rising in popularity since the late 1990s. The most hackerly martial arts are those which emphasize mental discipline, relaxed awareness, and control, rather than raw strength, athleticism, or physical toughness.

Study an actual meditation discipline. The perennial favorite among hackers is Zen (importantly, it is possible to benefit from Zen without acquiring a religion or discarding one you already have). Other styles may work as well, but be careful to choose one that doesn't require you to believe crazy things.

Develop an analytical ear for music. Learn to appreciate peculiar kinds of music. Learn to play some musical instrument well, or how to sing.

Develop your appreciation of puns and wordplay.

ぼくは、ここのところ太極拳と気功にはまっているので、どうしても3項目めのmartial-arts武術のところに注目してしまう。

しかし、レイモンドの文が、生まれた時からパソコンが転がり、インターネットアクセスも当たり前の状況で生まれたいまの学生を中心とした若者たちに、どれだけリアリティがあるかはわからない。

でも来年度のゼミのシラバスのなかの、「受講者への要望」のところに、この文を読むことも入れておいた。
なぜかって?
やはり「構え」を入れておかないと始まらない。世の中がどんどんと変わっても、個人の段階では、なにしろ徒手空拳でやっていくしかないからね。そのためには、構えとか型(中国武術では套路)を身につけなくては。

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2011.08.29

「もの」との別れ

クラウドコンピューティングというのは、個人の生活のレベルでは、まだそれほど実感のあるものではない(と思ったが、セキュリティーソフトは、個人段階でもクラウド化している:この部分後から追加)。しかし、ビジネス分野などでは実体化しつつある。

一方、ぼくの場合、書籍のクラウド化ともいうべき状態になっている。海外の出版社の雑誌や書籍などで、すでに三社ほどとの契約を行っていて、最近は「本」というものの概念がだいぶ変わってきている。オンライン上の出版物を使えば使うほど、要するに「書籍」の実体は「コンテンツ」であることを実感し、これまでの物質的なイメージをともなった、あの書棚に並んだ「本」というものは、影を薄くしつつある。
Oreilly社のSafari Books Onlineに至っては、同社の出版物以外に、同業他社の出版物やビデオ映像などもあって、コンピュータ系の技術情報の取得のためには、ぼくにはもはや欠けがえのない存在だ。
ほかにも自分自身にとってクラウド的なのは、原稿もローカルでは書かずに、だんだんとネット上で書くようになっている。そうするとどのコンピュータからでも、同じ文章を書き進めていけるからだ。

あの地震と津波の後、「もの」に対する考え方はどんどんと変わっている。東京にも関わらず、住んでいた家の屋根が壊れ、引っ越しをしたのだが、その際になるべく「もの」を持たないほうがいいという思いが強くなった。「もの」ばかりか、家や土地の所有への執着というものさえも、なにか違和感をおぼえる様になった。
津波があった地域を訪れると、根こそぎに家屋などが破壊され、土地の区画さえもわからない状態、あるいは海に陥没して消失してしまったりしているのを目の当たりにした。

原発事故のあった福島では、すでに自分が暮らし、また働いてきた場所には戻れないという様な状況がある。住むだけでなく、農業や酪農あるいは漁業のような仕事が成立しなくなっている。場所に基づいた生産手段を失うという事態になっている。

生活のあり方は、千差万別なので、単純には語れないものだが、「もの」とその所有に関する考えは変わっていくのではないかと思う。
ごく庶民が「もの」をたくさん持つようになったのは、短い歴史、つまり近代以後(日本では明治維新以後)の短期間しかないように思える。またそれは「もの」を持たせる、つまり購買させる(あるいは消費させる)という仕組みができてからだ。
江戸の庶民生活でよく言われることだが、季節で必要なものは季節ごとに用意し、必要のないものは質屋などの蔵に入っているというように、多くの人はものをほとんど持たずに暮らしていた。

「もの」の世界を変えていくのには、江戸の暮らしにあるようなシステムがコアにあると思う。うまくいけば「もの」を所有しなくても、また便利に生活できるというような仕組みが出来てくるかもしれない。

その方が未来的な様に思える。

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2011.08.16

空間から場所へ

最初はまだ不分明な空間は、われわれがそれをもっとよく知り、それに価値をあたえていくにつれて次第に場所になっていく。
「空間の経験―身体から都市へ」

「空間」(space)は認識され位置づけられれることによって「場所」(place)になる。空間というのは、自分にとっても長年のテーマの一つであり、それは時間と対になった概念だ。だが「場所」というものは、とりわけ関心をもっていたとは言えないし、ましてイーフー・トゥアンの言っている概念をはじめは違和感を感じたものだが、彼の空間から場所へという考えは、冒頭で引用した文を含んだ、彼の著書を読むなかで理解できる。

精神の知的働きが空間の関係を把握するのは、身体が行動を通して空間の関係に習熟した後のことである。しかし精神の知的働きは、ひとたび探求の道を歩み始めると、大きく複雑な空間的枠組みをつくりあげるのであり、そのような空間的枠組みは、一人の人間が直接の経験を通じて把握できるものをはるかに超越している。人間の空間的能力(空間内での敏捷さのことではない)は、精神の知的働きの助けを得ることによって、他のあらゆる能力の頂点にたつのである。


空間を把握するということは、太古より続く営為である。そのことによって文明を築きあげてきた。トゥアンの空間論は、それを生物学や人類学などの方法を組み合わすことにより、文化論を築いていくというものと言っていいかもしれない。
ただその空間把握を実践していく主体の位置づけがずっと現代的である。それは伝統的な、何か思想的なつぶやきをする主体ではなく、生物的な原理とメカニカルな知性を同時にわかっている存在であるだろう。

動物と夢想家とコンピュータが同居している存在である人間が、世界をどのように経験し理解するか-これが本書の中心テーマなのである。

ぼくは最近、GPSを装備した装置をいくつか購入した。その理由は、意図的であれ、無意識であれ、自分が空間を移動していく行為のなかに、意識の流れを見つけてみようと思っているからだ。もちろん文学の分野には、旅行記や紀行文などの歴史があるが、ぼくは位置情報によってさらに緻密に、また無意識にでもたどっていく空間把握をデータとして見てみたいからだ。
そこには位置情報のみならず、ルートや、速度、さらに心拍やエネルギー消費までを記録していくことができる。それは身体データも含めた、空間移動の記録でもある。

ジンギスカンが率いる蒙古の軍隊は、非常に優れた空間把握力を持っていたと考えられる。軍事衛星が地球上をまわっている現代に至るまでのほんの数十年ほど前の軍事的な展開力とそれほど大差はないほどのものがあるように思える。

空間、場所の把握と理解は、さらに重要な意味を持つようになり、このことなくして未来の方法を考察することはできない。


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2011.08.08

東北での短いまとめ

宮城県の石巻市と女川町に行った。瓦礫撤去のボランティアで現地を訪れた。(そして被災地支援を行うトラスト作りのための会議のためだ。)

津波の被害というのは、どのような物理力でこれほどの破壊が可能なのかと思わせる。そして海水に沈んだ空間的な広さと高さから推量される想像できないほどの膨大な量。まさに自分の思考の域を超えている。

しかし、海は静かだった。たくさんの生命を奪ったとは思えない、優しく平和で美しい海。津波に破壊された倒壊建物や瓦礫が視界の範囲に無かったら、「生命の源」とかいう、海に対するのんきで紋切型の感動を起こさせていただろう。

水中に飲み込まれた年老いた患者を救うために、津波の海に飛び込んで助けた病院職員の勇気のある行動の話を聞いた。
人というのはすごい力を発揮するものだと思う。

「がんばろう東北」というスローガンを言われるのには違和感を感じるという現地の人もいた。もうがんばっているのに、さらに他人に「がんばろう」と言われたくないということだ。(なるほど!)

外国からのサポーターが予想以上にいた。やはり世界のあるレベルでは国境など越えているのだなと思った。一目でわかる欧米人以外にも韓国などアジアからのボランティアたちもいっしょに働いている。

巨大で複雑な事態を前にして、簡単に解決が見えるものではないと思った。ただこのことにどれだけ普遍的な真実があるのかはわからないのだが、現地で自分が学習した体験からすると、大量に見える瓦礫も人々が協力していくことで、確実に少くなっていくということだ。

自分に対していま言えること。ここで跳べ!

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2011.07.28

クリ、グイ、ヌイ

ドナルド・A・ノーマンの本『The Invisible Computer: Why Good Products Can Fail, the Personal Computer Is So Complex, and Information Appliances 」をもとに、CLIとGUIなどの話を大学院の授業でしたのは、それほど昔ではない(と言っても十年)。
もともと自分にとっては、コマンドラインでコンピュータを操作するのは、ごく当たり前のことであった。またその一方で、そういうコマンドラインでの入力が一般的であるなかで、早々とコモドール社のAmigaでグラフィッカルなユーザー・インタフェースに触れるのもAppleユーザーたちよりもずっと早かった。(いま思うとAmigaってえらいなぁ)

ここのところNUI、つまり「自然なユーザーインタフェース」Natural User Interfaceというものが頭のなかを駆けめぐっている。その発端は、マイクロソフト社のゲームマシンXbox360の入力装置Kinectに出てからだが、世界の多くのコンピュータ狂いと同様にこれの利用にはすぐにはまってしまう。
これまでオープンソースの環境で自主的に開発が進んできた状況に、同社がSDKを提供するようになって、またちょっと新たな雰囲気が見えてきたところと言ってもいいだろう。またCLI、GUI、NUIというインタフェースの流れが見えているとも言える。

赤外線の光のドットを分散させることなどを主なメカニズムとして、三次元空間でのモーションキャプチャリングからフェイシャル・リコグニション、ボイス・リコグニションなどの機能を兼ね備えたKinectは、開発者や販売者たちの当初の多く予想以上に話題になり、試行錯誤の研究とハッキングの材料になった。これまでこれほどのマルチモーダルな装置はなかったから、誰もが興味を持つのは当然で、グラフィクスやロボティクスなど様々な分野で取り入れられている。

NUIの技術に関する研究コミュニティがChristian Moore氏によって設立されたのが2006年だ。もちろん多くの人が新しい入力装置などの研究をおこなっていたのだが、現在のような方向性が見えてきた
のはまだ新しいと思う。

NUIは今後様々なところで使われていくと思う。これからのデザインにとっても欠くことのできない内容を持っている。そしてまたこれは「見えないコンピュータ」の具体的なあり方も示している。

見えないコンピュータのための自然なインタフェース

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2011.07.18

ロールオーバー・インタフェース

"Roll Over Beethoven"はチャック・ベリーのロックンロールの名曲。ロックンロールが新しい気分を運んでくれた時代のものだ。ベートーベンもぶちかませという勢いだ。

コンピュータのユーザーインタフェースの「ロールオーバー」は、マウスのポインターが、ボタンなどの上に重なった状態のこと。ロールオーバーによって変化するインタフェースを作るのは、インタフェースデザインの認知的に大事なポイントだ。

マウスという素晴らしい装置によって、グラフィックユーザー・インタフェースは発達してきた。それまでの、文字入力による手続き的なインタフェースからGUIへの変化は、コンピュータのユーザーのあり方を大きく変えた。
まさにユーザーインターフェースが変わることによって、こちらの動作も質も変わる。

今はまた、そういったユーザーインタフェースが変化している時期で、すでにスマートフォンやタブレット・コンピュータのインタフェースには、マウスポインタもない。したがって「ロールオーバー」は無くなっている。

マルチモーダルなインタフェースは、さらに進んでいくと思うし、そのうちにインタフェースというものを意識しない状態になっていくだろう(それでもインタフェース自身は存在するのだが)。インタフェースが「メタ」化すると言ってもいいのかもしれない。

ちょっと前までは、キーボードが無いということだけでこの映像のように「革命的」と言われていたっけ。

もちろん技術の変化はこのあたりでは止まらず、まさにRoll Over Interfaceというところ。

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